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◆濱中史朗氏 ロングインタビューVOL.7

のぶちか
「クリエートする上で何が大事だと思われてますか?」

史朗さん
「……………まぁ『情熱』でしょ(笑)。まぁこの前若い子が来て…。(その彼は)今は某窯業試験場に入って。俺もそっちをすすめたの。でもやっぱりこういうとこ来るよりちゃんとこう学んだ方が良いんじゃないか?って言って、学校行ってきた方が良いって言って今行ってる。」
のぶちか
「ちょっと突っ込んだお話をすると、史朗さんの表層的なところに憧れて」

史朗さん
「あぁあぁ」

のぶちか
「『史朗さんについた(師事した)』って事を言えればいいんじゃないか?思って来る人とかやっぱ嗅ぎ分けちゃいますか?」

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史朗さん
「まぁそこまで来ないけど、でもそれって結構昔からそんな事あったからぁ…。まぁ…、淘汰されるかもしれないし伸びるかも分からないから、それはあんまり…、考えていない。」

のぶちか
「あぁ、入り口がそうであっても入ってからどういう姿勢か?っていうところ…って事なんですねぇ…。」

史朗さん
「うーん…、逆に効果があれば良いけど、無い場合があるから(笑)」

のぶちか
「いやいや絶対あるでしょう?」

史朗さん
「でもあんまりそんなん聞いた事ないよ…、師匠がこの人だからって。なんか成功してる人(でそういう人)ってあまり居ない気がする(笑)」

のぶちか
「まぁちょっと古い見方ですかねぇ?でもまぁ無いよりは?とか、グンっと頭角を現した時にそういう背景があったりすると、それこそ現実的にやっぱりそこの影響は絶対ゼロじゃないですし、多大なる影響下にあったはずだし、っていうのは思うんですよねぇ…。」

史朗さん
「でもまぁそういう人はそういう人なんやろうなとは思うけど…。あんまり人の事まで考えれないなぁ(笑)。でも今はそうやって食べていける土壌もあったりするからね。社会的にもさぁ…、イベントで…とか。」

のぶちか
「食べていきやすくなったって事ですか?時代的に…」

史朗さん
「なってるんじゃないかねぇ、ある意味ねぇ…。昔なんか無かったもんねぇ。」

のぶちか
「苦しいなぁって思われた事ってありますか?陶芸されてて…。」

史朗さん
「苦しい?」

のぶちか
「クリエートの苦しみとはまた別で、(昔は焼物で食べていきやすい環境が)無かったってお話を聞くと、売れない時もあったのかなぁ?とか…」

史朗さん
「あぁ…、うぅーん…、そうねぇ、売れない…というかやり続けたってだけなんだけど(笑)。やり続けたってか、イベントを場所借りてやったりとかね、話があったらそこでやるとか、別にそれが売れるとか売れないとか関係無しにやってた。あの…、先ず…、全力でするだけっていう(笑)。結果とか…、考えてない…。で、やったらねぇたぶん…絶対次につながると思うってのはあるかもしれない。それだけかな…。やらないと次につながらないし…。だから次から次へとしてた。今はそんな事ないけどね。」

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のぶちか
「じゃあなんかもう良い意味で先の不安だとかが介入してくる様な心的状況じゃなくて、それこそ言われた『情熱』とか、『作りたい』だとかぁ…」

史朗さん
「うんうん『作りたい』っていうかもうそうねぇ…、『上手くなりたい』っていうかねぇ…。『上手くなりたい』っていうか『おっそいなぁ』とかさぁ、『なんで遅いんやろう?』とかさ(笑)。『壺とかひけるんかなぁ?』とか思ってたりしたし(笑)。二十代の頃は知らん事も多いからねぇ…、でも仕事があったから上手くなってったっていうか、(ロクロを)数ひけたっていうところもあるし…。だから理想を言うより仕事してたみたいな感じ(笑)。理想が無かったかもしれないし…(笑)。だからそっちにいけたのかも…(笑)。」

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のぶちか
「なるほど~…。」

史朗さん
「なんでもやろうと思わないとやれないよね、それが『情熱』と言えるか分からんけど…。」

のぶちか
「うぅーん………」

史朗さん
「(笑いながら)俺に情熱があったとは(思わんかったやろ)…(笑)?」

のぶちか
「いやいやいや、すごく驚きのというか」

史朗さん
「意外(笑)?」

のぶちか
「まさかそこに!?というか僕はきっと『センス』とかなんかそういう風な言葉が来るかなぁ?とか変な勝手なイメージがあったところでぇ…」

史朗さん
「センスとかやっぱ、あの…、お金払って得たりとか(笑)、足を歩いてというとことか…が前提っていうかさ(笑)。」

のぶちか
「先ほど『身銭を切らないと』、っていう…」

史朗さん
「もあるし、ただ見て評価だけじゃなくて…。まぁそれも親父の影響もあるけどね、買わないと得られないっていう…。」

のぶちか
「ちょっと逸れるんですけど、古物とかで大失敗っていう事はありましたか?」

史朗さん
「あぁ…、偽の直しがしてあるのとかね。まぁ完品とは思ってなかったけど…、直しがね、すごい分からない様にしてるの(笑)。で、まぁそれ全部取って金継ぎしたけどね。」

のぶちか
「へぇ~。」

史朗さん
「そういうのもあるし。すごい高額な(もので失敗)のはそんなに無いかな…。」

のぶちか
「その金継ぎされたのはお茶碗だったんですか?」

史朗さん
「いや、徳利ね。」

のぶちか
「何の徳利だったんですか?」

史朗さん
「高麗青磁。それも二十代の頃に買ったやつ。」

のぶちか
「ほ~~~~。」

史朗さん
「うーん、失敗ってものは無いかな。そういうコレクターとちょっとまた違うからね。参考商品っていうか…。」

史朗さん
「これも中世のゴシック建築の」

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のぶちか
「ずっと気になってたんですよ、これ!」

史朗さん
「これずっと見とったらこういうの(スカル)に反映されていくんよね。」

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のぶちか
「ゴシック建築の装飾部分になるんですか?」

史朗さん
「キリスト…、十字が切ってある。」

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のぶちか
「あっ!あぁあぁあぁ!」

史朗さん
「外に置いてあったもの…、土台があってその上に乗っかってた…。」

のぶちか
「へーーー!……オシャレなぁ~~~(シミジミ)。」

喜左衛門の事

喜左衛門

⇧国宝 大井戸茶碗 「喜左衛門井戸」
※写真 「茶道具事典」より引用

のぶちか
「あっ、喜左衛門に関しては今もって古いお茶碗の中では史朗さんの中で最高峰ですか?(時の経過と共に)変わるのかなぁ?と思って。」

史朗さん
「あぁ、うーん…、まぁそんな最近見てないけど……、そうねぇ……うーん、まぁ単純にカッコイイよね、なんか…。生々しさもあるし…。」

のぶちか
「生々しいというのはアウトラインですか?」

史朗さん
「アウトラインと肌感と大きさといい、損じてる感じと…」

のぶちか
「はぁ…(←鑑賞眼に強く感心している)」

史朗さん
「その…傷とかねぇ……、腹傷みたいな…」

喜左衛門傷

⇧国宝 大井戸茶碗 「喜左衛門井戸」
※写真 「茶の湯のやきもの 茶陶の美①茶陶の創生」淡交社より引用

のぶちか
「ありますねぇ…。あぁ……。えー、凄いな~~そっか~(←あの傷を『腹傷』と捉える感覚に驚愕している)。」

史朗さん
「まぁこれ(手元のカップの高台を見ながら)もやっぱ竹節(竹の節高台の事。井戸茶碗の約束事のひとつ)の一部とかね…。」

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のぶちか
「あっ、そういう事だったんですね!」

史朗さん
「竹節にしてもこの骨の部分のこうなったこの部分っていうか、がスカル感っていうかね。で下が分かれてるじゃん、っていうか溝が彫ってるじゃん、それが下顎なんよ。」

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のぶちか
「なるほど~。」

史朗さん
「だから、まぁ(このカップも)スカル…なんよ。で実際お茶を飲むと垂れてもそこに溜まるし、で釉薬掛ける時もそこを持てるからすごい…あの高台としては機能はバッチリ。自分としてはね。」

のぶちか
「ほぉ~~~。僕はもう完全に装飾の方と思ってました。」

史朗さん
「でも最初はねぇ無かったねぇ、筋は…。このえぐれた系、まぁ井戸茶碗っていうかさ。井戸茶碗の高台の…、実際こんなえぐれてないからね、なんかすごいえぐれてる様に見えるけど、それがまたカッコイイ。」

のぶちか
「あぁ~。ちょっとねぇ高台脇くらいまでグッと(削りが)いってますもんね。」

史朗さん
「(自分のカップは高台の削りを)もっと内側も入れ込んでる。今、練習がてら全部(自分のカップの高台を)それにしとるけど、練習も兼ねてね(笑)。」

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のぶちか
「おぉ~。お皿の高台も同じ作業をされてますもんね。」

史朗さん
「全部同じ(笑)」

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のぶちか
「へぇ~!もう完全に史朗さんが築いた美しい装飾、造形のひとつの…」

史朗さん
「あぁあぁ、いやだから人に近いから良いの。あの人体に近いほど美しいというか超越してるっていうか…。」

のぶちか
「うーん……。いや~、喜左衛門の話、良かったな~(シミジミ)。いや、史朗さん、ありがとうございました!なんかすごく…、実はめっちゃ今日緊張してたんですよ、昨日の晩から(笑)。」

史朗さん
「うん、俺も…ロクロ嫌やな~って思ってた(笑)。」
(※本当はロクロシーンを撮影させて頂くお願いをしていたが、空気を読んでインタビューだけにしたのぶちか)

のぶちか
「ハハハハハ(笑)!」

史朗さん
「フフフフフ(笑)!」

のぶちか
「いつかロクロはお仕事の邪魔にならない様にしますんで、その時ぜひ撮らせて下さい(笑)。…………なんかこう僕の中でもっと深く深く史朗さんの事を皆にお伝えしたいなぁって思いがずっと前からあったんですよ。(作品の)見た目がカッコイイ事はちょっとセンスある人だったら分かるんですけど、なんか僕自身もそこで止まってると…」

史朗さん
「でもまぁ…、あのぅ…、(自分の作品の)ベースとなってるものもあるからね。器でもね。それをまたミックスさせてカスタマイズするみたいなね。でもまぁ全部精通した中でやってるから、そういうシチュエーションにもあったりする可能性が高い。で、ましてや器だから、やっぱり食と近くないとさ、いけないってところでやっぱりなるべく単調にしてるっていうかね、釉薬にしても。色を狙ってないから、狙ってないというとあれだけど、混ぜてないというかね。だから『器=食』みたいなとこがあって、離れちゃいけないっていうか…。」

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のぶちか
「ふぅーむ…」

史朗さん
「釉薬もなんか色々出そうと思ったら出せるけど、やっぱ食となんか離れていくから、なるべく単調にっていうか、調合はなるべくいじらない様にしてるっていうか。」

のぶちか
「鮮やかな色や釉調の作品ももちろん魅力的なんですけど、食と絡み続けていくと…」

史朗さん
「まぁ限定されるよね。ちょっと特殊なものよね。」

のぶちか
「そうですねぇ。人間って日々、気持ちの浮き沈みがあったりしますけど、綺麗で好んで買ったのに食事の際の心理状態次第では選び取りにくいという事も起こるんだ、っていうのを何年か前に気が付いて…。ある程度ニュートラルな状態のものというか色だったりとか…、まぁ形状もそうなんですけど、そういうものの方が使うシーンが増えてきた時に、「あー、理屈があるんだなぁ」って思ったんですよね…。だからシンプルを好む人達っていうのは、単純に色として好きというところのみならず、そういうところも大事にしてそうなってるのかなぁって…」

史朗さん
「ミニマム…。猿山さんなんて特にねぇ。『白い器じゃないと』みたいなとこやったけど(笑)。本当こう好き嫌いで生きてるっていうか、それがまたすごい(笑)…。それはもう感覚的なものもある…『これちょっと(嫌)…』みたいな(笑)。ライン作るのでもこれはなんかやっぱ理屈があってやってるってかさ。そんぐらいデータがある…。」

のぶちか
「それは縦横高さ的なバランスの比率とかの事ですか?」

史朗さん
「とか、立ち上がりとかふくらみがもうちょっとこうあってこうとか…。重心っていうか…。例えば高麗青磁やったらこうあってこうとかね…」

のぶちか
「はいはい。」

史朗さん
「で、あぁいうのもそういう要素を取り入れたりとかね。でもやっぱりそういうのって『人』に近かったりするっていう…かな。『人』ってか『人体』。やっぱデッサンしてるから色々分かるっていうかさ。」

※ここでインタビューは終了

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のぶちか
「いやー、ありがとうございます、史朗さん。いやー、また何年後か…」

史朗さん
「あぁ何年後かに(笑)」

のぶちか
「たぶん今の現時点でまだ気付いてない事も僕の中にありますし、史朗さんがこのまま絶対止まらないんで…」

史朗さん
「うーん…、止まれ(ないよねぇ)…」

のぶちか
「何年後かにまた違う切り口でインタビューとかお話を伺えたら良いなぁと思います。ありがとうございました泣!」

史朗さん
「(笑)!」

のぶちか
「良かったなぁ~~~(シミジミ)、なんかありがとうございました、長々とすいません!ものすごく…(同行した妻『こーすけ』に向かって)、お店休んで良かったねぇ~…(この日はJIBITAをインタビューの為に臨時休業しました)。」

史朗さん
「ハハハハハ(笑)!」  

インタビュー 2020年6月29日


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スタッズの事

音声では残って無いのですが、この後史朗さんに「スタッズ」についてもお聞きしました。

あの「スタッズ」にはどういう意味が込められているか?

それは、

「千羽鶴」

とのこの事です。

そしてあの「スタッズ」を一つ一つ削り出していく行為には「祈り」も込められていると。

それを聞いた時、原爆での死者の魂に対し

「スカル」は「陰」表現
「スタッズ」は「陽」表現

の関係性にあると感じました。

彼らの魂や思いを「解放」する為に「スカル」を作品に表出させて終わるのではなく、そこに対し「スタッズ」を存在させる事によって彼らへ「祈り」を捧げ鎮めるという対比表現。

その他、

「スタッズ」に関しては「何か連なったものを作りたい。連なったものを作っている作業自体を行いたい」というニュアンスのお話も頂きました。

これはきっと、「スタッズ」が「祈り」に通じている事から、史朗さんが「スタッズ」を制作する事で「祈り」の時間を確保したいという心的状況を表しているのか?とも推察しました。

そこで過去をひも解くと、昔よりも今の方がスタッズの段数が多いものが増えてきている様に感じます。

もしそれが偶然でないなら、昔に比べ今の方が「祈り」に対する思いが強まって来られているのかぁ?とも想像したり。

以上はあくまで持論ですが。

また「スタッズ」の連続性は、史朗さんが好きなアーティストであるブランクーシの「無限柱」に見る「単純なユニットの反復により構成され」たものへの憧憬などとは無関係である事も仰っておられたので、ここに補足しておきます。









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