もしあなたが「音」だったら、世界はどう見えるか?
人間は、人間の価値観でしかものを見れないものです。だから、本当の世界というものを知るには、他の角度から世界を見てみることがヒントになります。
例えばですが、あなたが「音」だったら、世界はどう見えるのでしょうか?
本当は目がないので、何も見えないのですが、自分と似た波長領域だけ、見えると仮定します。
そうすると、世界は「音」だけが見える世界になります。あちこちに、音の波だけが流れて見えることでしょう。ただ、音に耳がなければ、世界は無音です。
人間や、動物や、建物や山も見えないでしょう。物質は、そこに物質がある訳ではなく、波長の密度が高い場所を、「人間」が、物として認知しているだけです。
実際、人間が見えるものは、膨大な周波数の中の、ほんのちょっとした可視光だけです。ラジオ波も、Wifiも、音波も、紫外線も、ちょっと人間の能力から外れただけで見えなくなります。
音にとっては、物質がある場所は何か、ミステリースポットみたいに感じるかもしれません。音が吸収されたり、跳ね返されたりしてしまう場所だからです。
真っ暗闇の中に、音だけが浮かぶ世界。とても幻想的ですね。
でも、「音」は、「これが世界の全て」だと思うわけです。
「音」に建物の話をしても、動物の話をしても、「はっ?」って言われるだけです。
「そんな非科学的なこと信じるわけないわ~」って、たぶん言われます(笑)
「一瞬だけ、二本足で動いている生き物を見た」って音友達に話したら、「頭おかしくなったんじゃないか」と笑われるでしょう。
結局、何が言いたいかというと、人間が知覚している世の中なんて、別に確かなものではないということです。人間の主体なる部分が、知覚しているだけで、実際は、物質もないし、地球もないんです。
古代インドではこのことがよくわかっていて、この世界のことを「マーヤ」、すなわち「幻想世界」と呼びます。
実際には、「音」には音の世界があるように、この世には、「龍」の世界も同一の場所に存在し、「妖精」の世界もあり、「幽霊」の世界もあります。見えたり、聞こえたりしないだけで、イコール存在しないってことではありません。
ただ、子供だけがモスキート音が聞こえるのと一緒で、そういう世界が見えたり、聞こえたりする人も現に存在します。こういう人は、現代では「能力者」と呼ばれたりします。
もし子供が「宇宙が爆発する」という不安をいだいたら、大人は一笑に付すかも知れません。
でも、あなたの悩みは、宇宙的にみたらこれと一緒です。すべては幻想なのです。確かなものは、いま、何かを感じ、考えている、あなた自身だけなのです。
肉体すら、あと何十年もすれば、脱ぎ捨てる幻想です。お金なんて幻想の極致です。
「すべては幻」
小さいことに、思い悩んだりしてもまったく意味がありません。人生は、神様が与えてくれた、「喜び」と「楽しさ」という感情を、存分に感じて生きていくようにできているのです。
余談ですが、「幽霊同士」はぶつかるのでしょうか?!