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エビデンス至上主義の弊害
いまは何でもかんでも「エビデンス」と言われる時代です。エビデンスがないものは一切信じないという方も、ちょいちょいネットで見かけます。
もちろん嘘はいけませんので、それを防ぐためのエビデンスは大切です。ただ、ちゃんとしたエビデンスがないものでも、素晴らしいものをたくさん体験して来た者としては、なんかもや~っとしたものを感じます。勿体ないと言うかなんというか。
エビデンスなんて全部が全部出せるもんでもない
まず第一に、ジャンルや、エビデンスの程度にもよりますが、西洋医療側の素材でないと、エビデンスって非常に取りにくいんです。
例えば、ガンに効いたと評判の良いサプリ成分があったとします。これをちゃんとエビデンスを取ろうって言ってもまず無理だと思います。
巨大な製薬会社がそれをやろうとはしないので、まず普通の企業の話になります。そんな企業にまずそこまでの大金は投資できませんし、国の補助金なんかも下りないでしょう。回収が見えないのですから。この時点でまずやれるところが限られます。知らんですけど、うん百億円は最低掛かりますから。
お金が集まったとしても、今度はなかなか治験者が集まらないでしょう。他の治療をしているとサプリの効果がわかりませんから、全員同じような条件下で、サプリだけの効果を測定することになります。試したいと思う人はいると思いますが、自分の命を懸けてまで、正式な試験として成立する一定数が集まるとも思えません。
もしこの壁を超えれたとしても、サプリというのはどっちかというと緩やかに体を修復していくものです。対症療法と違って、即効性はないものが多いです。長期で見るとなると、変数が多すぎて、サプリの効果かどうかなんてわからなくなります。ましてや5年、10年の生存率なんて話になれば、現在の世の中では、そんな試験が成立する方法論がない気がします。
ガンの特殊性もありますので、高血圧や糖尿病などだったら、もう少し色々な壁は低くなるでしょう。
ただ、国、製薬メーカー、医療機関、そしてそれを信じている大多数の国民までがワンセットの仲間となっているため、部外者にはうまく立ち回ったとしても、壁を越えていくのがとても難しいのが現状です。
結果、自分たちでちょこちょこしたエビデンスは取りますが、それは公的なところは何も認めてくれないエビデンスとなり、一生、本流にはなれないのです。
ただ、だから効果がないということではないんです。国が認めないイコール単にエビデンスが取れてないというだけです。効果とは関係がありません。
エビデンスより信じれるものが自分の中にあるか
人間はある程度の年齢になれば、色々な経験を積んで、自分なりの知識もあるはずです。
ガンからサバイブした人の多くは、自分の直感を信じたといいます。有名な棋士も、何千手と読んだ手より、直感を信じた時の方が良い結果が出るそうです。
エビデンス至上主義は、残念ながら直感を排除した形になります。なんとなく自分にはこれが合う気がする。なんかいまこれを食べた方が良い気がする。人間にはそもそも、こういう能力があるのです。そして実はこのシステムの方が優れている。
エビデンス至上主義はある意味、直感とかを排除して人間の検査データと、左脳の論理性だけに頼るという脆弱なシステムに感じます。
国としては、消費者を嘘から守り、感情を排除して公平にさばく必要があるので、エビデンス至上主義は致し方ない。でも、1個人のケースの場合、エビデンスだけに頼る必然性は全くありません。自分のことさえ考えれば良いのですから、あらゆる手を使って最善手をさせば良いのです。
そもそもエビデンスってどこまでのもんやねんの話
ちょっとジャンルを変えて、魂の話をしましょう。
あらゆる文献、人類がして来た経験、自分の体験、すべてを踏まえて私は100%の自信をもって、「魂はある」一択と答えを出しています。絶対の真理です。
ある意味、経験談は、エビデンスの一つですが、至上主義の人はそれを正式なエビデンスとは認めません。
ちゃんと肉眼で観察して、測定して、とかいうデータが必要になります。もしかしたら、魂に関しては、宇宙が終わりになるときまでそのデータが取れない可能性があります。1億年後には取れる可能性もあるかもしれません。
至上主義の人は、そのときまでは、それが真理だとしても信じることはありません。恐らくこの宇宙を作った神の存在も。データが出るまでは信じないでしょう。
別に個々の人生だからどう生きようが、それ人の自由です。その人はエビデンスの取りにくい真理、もしくは絶対に取れない真理から目を背けることになります。
これが私には、少し窮屈な生き方にしか見えません。人類がエビデンスが取れるものなんて、恐らく全宇宙の1%にも満たないのですから。その1%のことしか信じずに、99%の真実は、エビデンスが出るまでは信じない側なのですから。それは本当に合理的な姿勢と言えるのでしょうか。
あなたはエビデンスがないものをどこまで信じますか?
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![高橋伸嘉(のぶよし)|自然細胞科学研究者/(株)ルクセス代表/僧侶/](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/154610937/profile_5e4af95edeeae8a924f1e1cc7164a617.jpg?width=600&crop=1:1,smart)