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日本の薬害の歴史を振り返る。

日本の薬害の歴史(戦後)です。
たくさんありますので、主な事件だけ記載してます。

下記より抜粋してます。https://www.pmrj.jp/publications/02/shiryo_slides/yakugai_shiryo_sengo.pdf「戦後の薬害事件の概要と教訓」土井脩

【ジフテリア予防接種禍事件】
1948年6月 予防接種法により摂取義務化(罰則付き)
1948年10月~11月 京都で先駆けてのべ10万人に摂取
予防接種を受けた子供に続々と入院が発生。674人が発病、うち68人が死亡。538人に後遺症を残す。
島根でも324人が発症。16人が死亡。

(原因)製造管理に問題があり、ワクチンの無毒化できていないロットがあった。

【サリドマイド事件】
1957年 西ドイツで夢の睡眠薬として販売
1958年 日本でも発売
1959年 奇形児が生まれ始める(四肢が短いなど)
1961年 西ドイツのレンツ博士が調査により警告
    同年、西欧諸国は販売停止・回収
    日本の厚生省は、「科学的根拠に乏しい」と警告を無視
1962年2月 厚生省は新たなサリドマイド含有製剤を承認

   5月~9月 関係企業がサリドマイド製剤を発売中止・回収
1963年 訴訟開始
1974年 和解成立
日本での被害者309名。死産1000件以上。

(原因)海外製剤の緩い承認システムと、厚労省の不作為にによる被害拡大。

【スモン事件】
1939年頃 キノフォルムが「副作用のない薬」として、100余りの薬に配合
1955年頃 スモン(亜急性脊髄視神経症)が散見 
1967-68年 大量に発生
1970年 キノフォルムが原因であることがわかり、販売中止
1971年 訴訟開始
1979年 和解成立

患者数・・・11,000人以上

(原因)新薬でないごく普通の汎用成分が重大な副作用の原因となっており、判明が遅れた。副作用を抑えるためにもキノフォルムが投与。

【エイズ事件】
1972年 血友病Bに対する濃縮製剤の承認
1978年 血友病Aに対する濃縮製剤の承認
1981年 米国で初めてエイズを報告
1985年 日本で最初のエイズ患者報告
    加熱製剤が承認されたが、危険な非加熱製剤がすぐに回収されず使用され続けた。
1989年 エイズ訴訟開始
1996年 和解成立
血友病患者5000人のうち1400人がHIVに感染

(原因)ずさんな治験システムのあり方。後手後手の対応


結局、歴史は繰り返します。

製薬メーカーは、営利団体なので、データの良いところだけを言って営業をかけてきます。これがよく訴訟問題になり、製薬メーカーは多額の賠償金を払っていますが、どうやら懲りることはなさそうです。

日本の官庁は、許認可がずさんで、対応も遅く、何かあった時に被害を拡大させています。そもそも官庁に、製薬メーカーのデータの嘘や不備を見抜く能力、国民一人一人の命を大切にしようとする姿勢が常に感じれません。
それが和解の遅さにも表れています。

海外で最初に問題視されて、日本が後から遅れて世界の流れについて行くという構図になっています。日本から自主的に、薬害をみつけて世界に先駆けて発売停止するなんてことは、ほとんどありません。

ハンセン病においては、日本国政府は感染力がほとんどないと判明したにも関わらず、一貫して終生隔離政策や、強制不妊手術を行い、患者の人権を無視した政策を何十年も続けていました。

つい最近、どこかで見ている構図ですね。システムは、善意の国民の犠牲の上に、少しずつブラッシュアップされているようですが、根本が変わらない限り、同じ過ちは繰り返されるのです。

ちなみに、盲腸は昔は不必要ということで、炎症を起こしたら切除されていましたが、いまは重要な臓器とわかっています。

傷を治すのも、消毒するとキレイに治らないということで、湿潤療法という方法がベストと言われ始めました。

普通の人間と同じで、医療もずっと間違い続けているのです。盲信しないが身のためです。




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高橋伸嘉(のぶよし)|自然細胞科学研究者/(株)ルクセス代表/僧侶/
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