自分という生き物⑩〜高校編〜
高校の時週一で宗教という授業があってそん時に5分間瞑想する時間があったけど、真面目くん一人を除いて全員その時間余裕で寝てた。どうもNobuです。
10月に突入して、今年もいよいよ残り3ヶ月ですね。ほんまにあっという間。そして日本帰国まで残り約7ヶ月。この5ヶ月間は長いようで短かったですね。なんというか、NZに来てからの4ヶ月間は語学学校にも通っていたのでいろんな国の友達と国際交流して、いろんな刺激を受けまくっていたので毎日が充実していたんですが、卒業してからはというと、「バイト、勉強、筋トレ、ランニング」この4つしかしてません。正直、最初はこれもこれでQOL(Qualuty Of Life)上がってるから人生充実してるんじゃね?とか思ってたんですが、どんどんやっていくうちにそれがマンネリ化(いわゆる慣れ)してきてしまい、これは本当に充実しているのかと自分の生活について考えることが増えました。
みなさんは今の人生に満足していますか?というか人生の充実、満足とは何なのか。飯をいっぱい食べること?寝ること?性欲を満たすこと?どこまですれば人生が幸福なものになるのか。僕はぼんやりとしか浮かんでないんですが、僕個人的な意見としては、結局はその人の捉え方次第なんじゃないかと。(UverworldのTAKUYAも言ってた)例えば、資産、スキル、人間関係等の生きていく上で不可欠なものをどちらも同程度持っている二人が存在するとします。一人は今の人生に満足している。もう片方は今の人生に満足していない。この違いは何なのか。「捉え方」これだと思います。どちらが良くてどちらが悪いというわけではないです。満足しているということは、それだけ今の現状に幸せを感じていることだと思いますし、満足していないということは向上心があり、伸び代があるということ。結論何が言いたいかというと、捉え方だけで人生は大きく変わるということです。(あかん哲学的になってきてるまずい)
前置きが長くなりすぎましたさーせん。
大きな壁
陸上部に入部した僕には目標がありました。それは都大路駅伝(全国高校駅伝)に出場すること。中学の時全国大会に出場することが目標だった僕は、シーズン前に疲労骨折しその夢を叶えることはできませんでした。高校では何としてでもその夢を叶えたい。そんな一心でした。そしていざ陸上部に入部。待ち受けていたのは大きな壁の連続でした。
某R高校の陸上部は長距離パートと短距離パートでは完全に分断されており、監督もそれぞれ別の人が指導していました。なので、チームの雰囲気、指導方法全てがバラバラでした。短距離はというと和気藹々しており、チームの雰囲気はかなり良好。先輩後輩の上下関係はあったものの、練習後にはふざけ合ったり仲良く会話したりというのが普通の光景でした。じゃあ長距離はというとまさに雲泥の差と言わんばかりの状況でした。先輩と話す時はまず「今お時間よろしいでしょうか」という確認から入らないといけない。言葉遣いは常に尊敬語と謙譲語を使い、少しでも言葉遣いが間違っていれば注意を受ける。笑顔がほとんど見られない。そんな劣悪な雰囲気でした。なぜなのか。それは昨年の県大会の駅伝で敗れ、全国大会に出場できなかったからでした。某R高校は全国大会出場は必須。というか当たり前のチームで、逆に言うと全国大会で上位で戦わなければいけないチームでした。にもかかわらず、昨年県大会で敗れしまったため、今年は何としてでも都大路駅伝に出場しなければいけないという状況でした。特に3年生の先輩方は全員が鬼のような形相をしており、話しかけることすらも怖かったのを今でも覚えています。
悪夢の襲来
練習はというとまさに地獄。毎日20kmは当たり前。練習後はフラフラで立つことでさえ苦しかったです。一時期は貧血に陥り、立つのがやっとでした。そんな1年時の6月。いつも通り練習をしていると右ふくらはぎの内側に違和感を感じる時がありました。僕はまぁ接骨院とかアイシングとかケアをしていたら治るであろうと思っていたので、休むことなく練習は継続していました。が、しかし、治るどころか症状は悪化していくばかり。何かがおかしい。でも7月には夏合宿がある。そこでしっかり走らないとみんなに置いていかれる。だから走らないといけない。そう言い聞かせ走っていました。ですが、案の定僕の足は限界に来ており、気づけばシンスプリントの疲労骨折に陥っていました。中学時の悪夢がここでまた蘇ってきたのです。
「あ、俺終わった」
そんな絶望感でした。そして入部して間もなく僕は故障者になり、夏合宿は走ることなくそして夏の試合にも出場することなく終わってしまいました。
チームはというとインターハイ総合優勝。全国のチャンピオンになっていました。しかし長距離の活躍はほぼなく、短距離のみで得点を稼ぎ、チームを優勝に導いていたのです。「長距離パートは何をしているんだ?」「何も貢献できていないじゃないか」そんな声が飛び交い、長距離パートの存在意義は消滅しつつありました。長距離パートもダメ。自分も故障していてダメ。俺は果たして全国大会に進むことができるのだろうか。そんなネガティブな感情を持ち治療に専念する毎日を過ごしていました。
と今日はここまでにします。今思えば高校時が一番人生の中で辛かったですね。(まだ24年間しか生きていませんが)これからもっと辛い人生が待ち受けてると思いますが、多分これを超えることはないと思います。それくらいきつくて、ある意味僕の中では本当に青春でした。それに比べると英語なんて楽勝!と言いたいところですが、まぁこれも色々と壁にぶつかってますね。詳しいことは後々書いていきます。では!
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