自分という生き物⑥〜中学校編〜
中学の時クラスメイトにデコ広いのバレて「ハゲタカ」って言われ続けられてました。どうもNobuです。
8月も終盤に差し掛かってきましたね。日本ではお盆が終わって憂鬱な毎日を過ごしていらっしゃる方も多いと思いますが、また次の土日、そして長期休みに向けてとりま頑張っていきましょう!僕はというと、2週間前からローカルカフェの仕事が見つかり、なんとか生活の基盤が整い始めています!(お金尽きそうでホームレスの未来見えてた)仕事探しについては、今後詳しく説明しようと思うので、気長に待って頂けたらと思います。
あ、あとこの土曜日からちょっくら国内旅行行ってきます!場所はクイーンズタウン。南島に位置するこの街は、自然あふれる街として有名で、この冬の時期にはオーロラを見ることもできます。天気が少し心配ですが、おもいっきり自然を堪能してこようと思います。
究極の選択肢
無事クラスメイトから認められた僕はとにかく部活に打ち込んでいました。というのも、この学校に来た理由が「陸上部に入るため」だったからです。小さい頃からずっと住んでいた街を離れ新しい学校に入学することは、自分にとってかなり勇気のいるものでしたし、自分だけでなく家族、友人にも影響を与えるものであった為、それなりの覚悟を持って陸上部に入部しました。実際、成績は日に日に良くなっていき、中学1年の夏の大会では京都府大会で1500m2位になり、近畿大会に出場できました。正直1年目からこんなにも早く結果が出るとは思ってもいなかったので非常に驚いていたんですが、ただ陸上の結果が良くなったことによってある問題が起きました。そう、水泳です。小学校までは水泳一筋でやってきていたのでそれなりの結果が出ていましたし、京都府大会では3位以内には入るほどだったのですが、中学生になってからはどうしても部活を優先する必要があり、部活の後に遅れて水泳の練習に行くという超過酷な生活をしていくにつれて、水泳の結果が振るわなくなりました。(部活終わったら走って家まで帰ってそのまますぐに家出て車の中でおにぎり食うてた)人生辛いことはたくさんありましたが、身体的に一番きつかったのはおそらくこの時期だったと思います。(ガチで)体重も痩せに痩せ、泳ぐ時には全く身体が浮いてこない始末。どうしようかと悩んでいた時にうちの監督から「どっちかに絞ったらどうや」と言われました。僕はこの時何が正解なのか、どうすればいいのか全く検討がついていない状況でした。元々、北島康介選手のような選手になるのが夢でここまで水泳を続けてきたのに、陸上が原因であっけなく辞めていいものなのかと。僕はこの時究極に悩みました。(就活より悩んだ自信ある)なぜなら、どちらかの選択を取ることによって人生の方向性が大きく変わっていくからです。でも、実際陸上の記録は伸びて、水泳の記録が伸びないのは事実でしたし、2刀流には限界があるなと薄々気づいていました。(大谷翔平は意味わからん)その時点で答えは決まっていたのです。「10年間やってきた水泳を辞めて、陸上に専念します」。僕はこう監督に伝えました。
この選択は正解だったのか正直今でもわかりませんが、この選択に後悔はないと胸を張って言えます。(あの時の俺ありがとう)
と、そんなこんなで陸上一筋の生活が始まっていくわけですが、旅行の準備をしていかないといけないので今日はここまでにします。思ったよりも学生の頃の記憶は残っていて、意外と書くことが多いなぁと感じる最近ですが、逆に書くことが多すぎてなかなか終わりが見えないという現状。9月ぐらいまでには学生の話は終わらせようという気持ちでとりま頑張ります!今後ともよろしゅう!
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