【懐かし洋画劇場】 『スター・ウォーズ』(77年) フォースが「理力」と呼ばれていた頃...はるか銀河系の彼方の昔話
映画『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』の日本での公開が2020年3月5日に終了し、これにて42年に渡るスカイウォーカー・サーガも完結となった。
今日は、ネット世代の若い人たちが知らない『スター・ウォーズ』(77年) 第一作が公開された当時の話と、なぜぼくがこの映画にハマったのかを書こうと思う。
記憶に頼って書くため、間違いもあるかもしれないが、そこはその辺にいる知らないおっさんの思い出話と受け止めて、気楽に読んでいただければ幸いである。
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1977年夏、商店街ではピンクレディーの「渚のシンドバット」が流れ、矢沢永吉が日本人ソロ・ロックアーティストとして初めて日本武道館でコンサート(8月26日)を行った。
映画館では『宇宙戦艦ヤマト』『八甲田山』『サスペリア』『遠すぎた橋』などがヒット。その頃、海の向こうアメリカでは最初「惑星大戦争」と紹介されていた『スター・ウォーズ』”STAR WARS”という映画が大ヒットしているとファン雑誌「SCREEN」や「ロードショー」に書かれていた。
各雑誌では、それから『スター・ウォーズ』の紹介記事が載り、高校生のぼくは「うぉー早く見てえー」と思ったものの、公開が一年後の1978年夏と報道される。
なんでそんなに待たされたかというと、映画の興行は、正月、春休み、ゴールデンウィーク、夏休みが客入りが良く、中でも夏興行が当時は一番稼ぎ時だったからだ。
20世紀フォックス日本支社の支社長は考える。「うーむ、これは子供向きの映画じゃから、やっぱ夏休み公開が一番じゃろ」
というわけで、公開は1978年7月1日と決まる。全米公開が1977年5月25日だから、1年以上も待たされるわけだ。
それからというもの「SCREEN」「ロードショー」では毎月毎月この映画の紹介記事が出る。お金持ちで文化人の大人たちは、ハワイに鑑賞ツアーへ行って見ただの、腹の立つ記事も一般誌に載る。田舎暮らしのぼくはただただ公開を待つのみ。
全米で夏に公開された映画は、普通は冬に公開されるのが一般的だった。この年末は『007私を愛したスパイ』『カプリコン・1』や、寅さん、トラック野郎シリーズが映画館で封切られた。
その中で、東宝は名作SF特撮『海底軍艦』(63年)の宇宙版リメイク、その名も『惑星大戦争』を突貫工事で製作し、公開にこぎつける。本家が上陸する前に作ったれ!という映画人の気概を感じたが、小遣いの少ないぼくは「007」を見に行った(爆)
その頃ぼくたちの興味は、あの『ジョーズ/JAWS』(75年)のスティーブン・スピルバーグ監督の新作映画『未知との遭遇』に向けられていた。
原題は“Close Encounters of The Third Kind”(第三種接近遭遇)と難解そうだが、アメリカで11月に公開されて大評判をとっているという。
日本公開は、1978年2月25日。そう、我々日本人は『スター・ウォーズ』の前に『未知との遭遇』に”遭遇“したのだ!
大画面に映し出されるマザーシップ、宇宙人と交信する印象的な音楽、博士役のフランソワ・トリュフォー...「こりゃーどえらいSFじゃ」友人たちと話す時「スター・ウォーズはこれよりすげえんかのお?」とまだ見ぬ映画に想いをはせた。
(今もぼくが大事に持っている初公開時のポスター)
そして運命の日がやってくる。1978年 5月成田国際空港が開港し、街にはデビューしたばかりのサザン・オール・スターズの「勝手にシンドバッド」(6月25日発売)が流れ始めていた。
ぼくは当然初日の7月1日(土)に、地元の70mm岡山グランド劇場へ行った。場内は満員。「そらそーじゃ、一年も待たされたんじゃけえ!」そう思いながら上映を待った。
映画が始まる。あの『大平原』(39年)そっくりと言われるメインタイトルと音楽からわくわくし、「SCREEN」などで既知のルーク、レイア姫、ハン・ソロ、C3PO、R2D2、チューバッカの活躍、『戦場にかける橋』(57年)の名優アレック・ギネスや、ハマー・プロのドラキュラ役で名をはせたピーター・カッシングの登場、大柄な悪役ダース・ベイダーの強さ。本作でアカデミー視覚効果賞を受賞したジョン・ダイクストラによる見たこともない特撮映像…
それら全てを見終わって、正直思ったことは、一言「…こんなものか…」だった。
なぜそんなに感動しなかったのか?
理由は二つある。一つは、一年もの間ファン雑誌や一般紙、テレビ・ラジオ全てのメディアがあらゆる情報を流し、映画ファンのぼくはそれらをチェックしすぎたものだから、ある意味ネタバレを見すぎていたのだと思う。初見なのに「確認作業」になってしまった感があった(苦笑)
もう一つは、言葉の問題だ。この当時、英語がわからず、字幕に頼ってた身には、オビ=ワン(ベン)ケノービがルークに言う「理力」(フォース)の意味がもうひとつピンとこなかったのだ。(そんな日本語ないでしょ?)
ネット世代の方々は知らないと思うが、昔の字幕は画面右に縦書きで出ていた。(トビラのイラスト参照↑) 毎回「理力」の横にカタカナでフォースと書いてあるもんだから、ちょっとどーゆー意味にとっていいのか余計にわからんちんになってしまったのである。
字幕担当岡枝慎二先生渾身の訳語「理力」はその後物議をかもすのだが、『EP5/帝国の逆襲』では使われず、日本テレビでの初放送時(1983年10月5日)の吹替でも「フォース」をそのまま使っていたと記憶している。
その年の秋、ぼくは英語を学ぶために英国へ行く。ホームステイをしながら英語学校へ通い、授業で使うからと与えられたオックスフォードの英英辞典と日々格闘していた。
ある日、宿題をしながら英英辞典をめくっている時、ふと「そーいえばフォースって英語あんのかな?」とページをめくってみた。
するとあった!そして、そこにはこう書かれていた。
Force : Power from body or mind.
ぼくはその時に初めて「フォース」の意味を知り腹落ちした。なるほど!「身体もしくは精神からくる力」か、だから字幕は「理力」なんだ、と。
その後しばらくして、留学先のノーフォーク州ノリッジ(Norwich)の名画座 Noverre Cinema で STAR WARS が1週間だけかかると聞いた。
そういえば、ジョージ・ルーカスは、ハリウッドで製作するとコスト高という理由で英国の撮影所を使ったんだったな、音楽のジョン・ウィリアムズもロンドン交響楽団を使ってサントラを作ったし、出演者もルーク、レイア、ハン・ソロは米国人だけど、他はほぼ英国人だし、と雑誌等で読んだ記事を思いだし、英国で鑑賞するのも良い記念になるかもな、と気楽に見に行ったのだった。
そして再見したぼくはびっくらこいた。なんておもしろいんだ!字幕なしで見て“Force”の意味もわかって見たら、2時間があっと言う間。ハマったぼくは次の日もまた見に行った。
結局「理力」という字幕を読んで、なんだろう?と頭で考えながら見ていたので、初見の時は集中できなかったんだと思う。あたかも当時の車でいうと、ギアチェンジするたびにノッキングしてスムースに進まない、下手くそな運転みたいになってたんだろう(←これもオートマしか知らないネット世代にはわからんかも・笑)。
言葉の意味が府に落ちて鑑賞し直すと、そこに映し出される世界があまりに楽しくて魅了されてしまったのだった。
それ以来、ぼくは『スター・ウォーズ』にハマった。以後約40年、ポスターやフィギュアやレーザーディスクやサントラやDVDやBlu-rayや、どんだけカネを使わされたか。被害者の会を結成したいほどである(笑)
ハマり方は人それぞれだけど、ぼくはこうやってハマった。世界中の人々がこんなに夢中になるのも、気持ちがよくわかる。それまで、大人の男が映画を見ておもちゃで遊ぶということはなかった(それは子供のやることだった)。『スター・ウォーズ』は、世界で初めて大人の男が童心に帰ることを肯定してくれた作品だったからに他ならない。
以上、のちに「エピソード4:新たなる希望」と副題がつく以前、遠い昔はるか銀河系の彼方のお話でしたとさ。
May the Force be with you 「理力と共にあらんことを」
てなことで。
【DVD解説】
ここで紹介した岡枝慎二先生の「理力」の字幕がついた版は、ぼくが知ってる限りこのDVDだけだ。EP4特別編の「おまけ」として、初公開時のヴァージョン(タイトルに「EP4 新たなる希望」と入っていない)を収録したものである。
関連:『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』サーガの終わりはこれでいいのだ。
スター・ウォーズ/サザビーズ・オークション 2019 Star Wars Online Auction / Sotheby’s
(Image Credit)
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