実は思い込みから来る自作自演
人間は、本人の中で何らかの判断が起こって行動します。判断については、本人がそれまでに学習した結果、学んだ知識の結果、そういったものがベースになります。
言語的に理解しているものもあれば、なんとなく嫌だとかそういったもので決まることもあります。
人間は生まれてからこの方、知らず知らずに学習をしていきます。明示的な学習もあれば生活の中で習得するものもあります。それが正しいことである場合もあれば、その場を逃れるための苦肉の策と言うこともあります。
人間が何を経験するかは、正直わかりませんし、偶発的なことも多いので、何を学習するかが分かりません。だから、人によって同じようなところで育っても考え方や感じ方、あるいは判断の仕方は違います。
その学習は、本人の中では正しいと判断されることが多くなります。なぜなら、 本人はそれに従って判断をし行動してきているから、自分の行動が間違っているとは言いづらいです。それを何度も繰り返すことによって、思い込みは強化されていきます。
自分は正しいと信じていることが何度も繰り返されて強化されていきます。それが嫌な結果になるとしても、同じような嫌な結果で止まるので、それ以上悪くならないと言う判断ができます。この判断も無意識的です。
もし、この思い込みが社会の中で正しくないとしても、本人にとっては正しいので、それを証明するかのように行動します。例えば、自分には価値がないと思っている人は、自分に価値がないような選択や振る舞いをします。
社会的に正しいと思われることも、全員がそれを正しいとは言いません。意見は分かれ議論されるものです。そんな中で自分の考えは正しいと思いながら選択をし行動しています。
そうなってくると、他人から見て、思い込みのある人の行動は少し変わった行動に見えます。例えば、すごく何かを信仰している方は、それが判断の中心になっているはずです。同じ信仰を持たない人からすると、とてもでは無いですが、信じられません。
それでも、信仰のある人は行動を変える事は、まずないでしょう。この例からしても、人は信じているものを正しいとして行動しています。仮にそれが自分を虐げたり、落としていくような行動だったとしても、信じているならばそれを続けます。自己肯定感が低い人は その傾向があるので、見ているとわかると思います。
第三者的ポジションから見ると、どんな行動もその人の信じたことを実現するためにやっていて、まさに自作自演と言えるかと思います。正しいことをしているかどうかは、主観的でよくわかりません。客観的や法律的に間違っているという事はできますが、その人が正しいと信じているなら、それを継続することでしょう。この自作自演は思い込みが修正されない限り、変わる事はないでしょう。
人生を変えたいと言う人はたくさんいますが、人生を変えるのではなく、思い込みを変えた方が速いです。その方がわかりやすいですし、変えるのも簡単です。