見出し画像

6月8日-6月24日

6月8日(土)
オーセンティックなバーの一枚板のカウンター。時間は0時を回るころがいい。足を組み深く座る。大きなため息と一緒にタバコの煙を吐き出し、揺蕩う煙を見ながら物憂げにウイスキーを一口含む。手に持ったグラスの丸氷がカランと鳴ると、グラスを拭いていた黒い蝶ネクタイのバーテンダーが「何かありましたか?」と聞いてくるばずだから、それに「フッ」と口角だけ持ち上げ「別に」と答える。なんと絵になるのだろう。物憂げなベールはBARという空間では色気ともなる。
辛いことや悲しいことがあった時にそんなベールを纏うことができるそうで、私はかねてからそれに憧れていた。

今日はそれができそうな気がする。そんな切ない出来事があった。

6月9日(日)
横川の体育館でフットサルの試合。自分らの試合が終わり、次の試合のボール拾い。替えのボールを足元に置いて試合をみていたら、同級生の友人がその試合に出ていた。

彼と最初にボールを蹴ったのは高校生の時。彼の弟も一緒だった。彼らのお父さんの葬式をした私の父が、学校に通えず不安定だった彼らを心配して、一緒にボールを蹴ってこいといってその機会を作った。川内自衛隊駐屯地の先にある清水ヶ丘公園だったと思う。3人で大きな三角形を作り、言葉なくただロングキックを蹴り合っていた。よく晴れた日で、溢れたボールが公園を囲む木々の木漏れ日のなかに転がっていったことを覚えている。

彼も30歳半ばを過ぎ、昔のようなスピードはでない、それでも必死でボールを追いかけて、倒れても、倒れても、倒れても、走って、ゴールを目指す。私は、彼のプレーを見ながら、無理だよ。追いつけないよ。怪我するよ。休んだ方がいいよと小さい声でブツブツ言っていたが、そのうち、だんだんと視界が潤んできた。サッカーは人間性がストレートに現れるという。彼はきっとこれまでもこんなふうに生きてきたのだ。

タッチラインをわったボールが私の方に転がってきた。彼はちょっとだけ笑ってボールを要求し、こちらもちょっとだけ笑ってボールを投げた。

6月10日(月)
習字教室。先生と生徒2人、うち1人私。シーンと静まり返るなか黙々と筆を動かしていると、パチンパチン小さな音をたてながら真上の蛍光灯が点滅し始めた。手元が明るくなったり暗くなったりして邪魔だなと思っていると、90歳をむかえる先生が「あら電球がおばけになってる〜ごめんなさいね」といった。可愛らしかった。
帰り際、街灯がチカチカしているのをみつけ、「あ、おばけになってる」と早速使ってみた。

6月12日(水)
仲間たちと飲みにいく。川内駅近くの居酒屋。席が狭くて仲間と酒を飲むには1番いい広さ。ビール3杯にメガハイボール3杯。
俺「付き合っている相手がボケたら、こうピースをして、この人差し指と中指の2本の指をね、相手の鼻に突っ込んで、ツッコンでやりたいんだよねー」
女の子「ありえない。そんなのされたら、即、別れます。」
俺「わかるよ。わかるよ。俺もさ、逆向きのピースはだめだとわかってるよ。奥まで入りすぎて死んじゃうから。でも普通のピースはいいでしょ。」
女の子「向きの問題じゃないです。どっちもだめです。」
という会話を結構な時間していたように思う。
2軒行ってから仲間たちを見送る。飲み足りず次の店を探していると、覗き込んだ店の扉からフットサルの後輩が飛び出してきた。「のぶさーん」と可愛い笑顔を見せてくれる。その愛嬌に魅かれ、入るつもりもなかった店に入って、後輩のバイト先の仲間たちと飲む。彼はとてもいい選手だから、プレーのことをここぞとばかりにベタ褒めしたのだけど、最後の最後で「俺も昔はなー」なんて言わなくてもいい自分の自慢話をしてしまった。彼は「すごいっすねー」と爽やかに返してくれのだけど、先輩の自慢話など誰が聞きたいものか。後悔後悔。
やっぱり「付き合ってる相手がボケたら、ピースを作って相手の鼻に2本指を突き刺して、ツッコンでやりたいんだよねーどう思う??」くらいの話が1番ちょうどいいのだ。

6月15日(土)
お寺で今度行うイベントのチラシを作っていて、講師の先生たちから掲載用の写真をメールで送ってもらった。
そのファイルをクリックするとパソコンの画面いっぱいに顔が映し出されて、私はちょっとドキッとする。鼻の穴とかを大きくして遊んでみる。楽し。

6月17日(月)
たまに、運動部が食べる大盛りご飯のように、お寺のお香を使う人がいるものだから、お香は1番安いものでいいだろうと、1万3000円のものから5000円くらいのものに、父が亡くなってすぐに変えた。けれども歳を重ねるごとに、安いお香ではお寺全体が安っぽくなっているような気になったり、いい香りでないと本堂から足が遠のくような気がして、5年経つ間に少しずつランクアップしてたのだが、ついに今回、父が使っていた時と同じ13,000円のお香に戻ってきた。家に帰り、早速使ってみると、手についた香りは、小さい頃に嗅いでいた父の匂いだった。この匂いはタバコの匂いだとばかり思ってたのに。

6月24日
指宿で仕事、串木野での会議に遅れて参加、スタバで勉強、夜は習字教室。

「雲多入夏容」という文字を毛質で何度も書いていた。雲と容が難しくて何度も練習して先生のところに持って行ったら「雲と容はいいですね。多入夏がちょっとですね」と言われた。21時を過ぎて、片付けをしていたら知らぬ電話番号から着信があり、車の中で掛け直してみると、門徒のKさんだった。
Kさんは50がらみの男性で、吃音があり、いつも下を向きながらフラフラ車道の真ん中を自転車で職場へ行ったり来たりしている。いろんなところに出没していて、いろんなところに電話をかけているよう。

「あのぉ終活セミナーのチラシが来てました。どんなことをするんですか」
「人間が死ぬって、さびしいですよね。」
「キリスト教の葬式好きだなー。慈しみ深きっていう歌好きだなー讃美歌歌ったことありますか?」
「人間が死ぬって、さびしいですよね。」
「朝のお勤め何時からですか?」
「もっと早く始めてくれたら、仕事前に行けて、みんな1日頑張ろうと思うよねー」
「朝にオニギリもだしたらたくさんくるよ」
「教会にこの前いったらマスクメロンでたよ」
「人間が死ぬって、さびしいですよね。」

一通り話を聞いて、「すいません、ちょっと切らないといけない」というと「はい、どーもありがとうございましたガチャン」と早口で切られた。

あの電話はなんだったんだと思ったけど、人が死ぬってさびしいですよ。

いいなと思ったら応援しよう!