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今は鹿児島に住んでます。

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マガジン

  • 2024年10月アルメニア

  • 2024年10月ジョージア

  • 2023年2月ブラジル

    ブラジル旅行の旅エッセイ。

  • 2023年10月マダガスカル

    マダガスカル旅行の旅エッセイ

  • こんな時でも、腹は減る

    病室のベッド。親父の心臓が止まって、お医者さんにご臨終ですと言われた時、母の腹がグーッと鳴った。こんな時でも腹は減るんだなと笑った。そんな日常のエッセイ。

最近の記事

10月13日 うれしくって泣いちゃうよ。そして帰国へ。

朝早く起きて、今泊まっている宿からバスを2回乗り継いで、首都エレバンの外れにあるゲルガド修道院を見に行く。昼過ぎに到着。駐車場はアルメニアナンバーの車で一杯。中に入ると観光客で一杯。 ゲルガド修道院は、巨大な一つの岩をくり抜いて巨大な信仰空間を造っている。細部の装飾まで掘り出して凝っている。その岩にピタッと密着して石造りの教会が建っている。アルメニア人たちはみな、教会に入る際には十字を切って、手に持ったローソクを台にさして、何分もお祈りをしては十字をきり、教会から出る前にも振

    • 10月12日 エレバン観光

      昼過ぎに起きると、アランとトムはもう宿にはいなかった。荷物もなかったから次の町にいったのだろう。飛行機のチケットのことでカード会社に連絡をとり、エレバンからドーハ、クアラルンプール、成田。成田から鹿児島のチケットを取ることができた。 13時から13時半。宿の近くのカフェでヨーグルトを使ったような酸味のあるスープとピザを頼む。1000円。食べ終わったらコーヒー飲みながら、2日前の日記を書く。 13時半から14時半。街を散策。エレバンは巨大な歌劇場と対角線上500メートルのと

      • 10月11日 余念なく遊ぶ。

        エレバンに着いて早々、フライトキャンセルを知らせるメールが届く。旅行会社や航空会社へ問い合わせる。航空会社の予定便の時間変更で乗り継ぎができなくなったとのこと。振り替えの便も全部満席で、できることは払い戻しをして、新しいチケットを買うしかないということを、散々文句を垂れながら、理解する。 そしてネットで鹿児島への片道チケットを探してみても、乗り継ぎ国のビザの兼ね合いもあり20万のチケットしかないと悟る。(返金が10万くらいくると思われるから追加10万か) さらに決済を切ろうに

        • 10月11日 お金がなくて

          昨日、現金がなくなり、ATMでキャッシングしようと思ったがクレジットカードがはじかれてしまった。今日もだめ。困った。カード決済ができるであろう首都のエレバンに向けてヒッチハイクすることにする。 1台目。ルパンが乗っているような暗めのウェディングドレス色の車。シンプルな内装に、ハンドルは船の舵取りのよう。助手席に乗る。おじさんは信号が青になると手振りもつけて「ちょくしーん」と言う。ヴァナゾルからデリジャン。距離50キロ。 2台目。古いラーダ。1988年に買ったといっていた。私

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        • 2024年10月アルメニア
          7本
        • 2024年10月ジョージア
          9本
        • 2023年2月ブラジル
          11本
        • 2023年10月マダガスカル
          17本
        • こんな時でも、腹は減る
          14本
        • ただの日記
          3本

        記事

          10月10日 ジンを空ける

          アラヴェルディから1時間ちょっとのヴァナゾルという街。 バスを降りて、植物が植えられベンチも置かれた中央分離帯もある広々とした道路のドンツキには四階建てのいかにも市役所という感じの市役所がある。その前は小学校のプールよりも広い噴水のある、広々としたロータリーのようなT字路で、反対側まで渡るのもぐるりと回って行かねばならない。ここを中心に建物も人も集まっているが、何せ広々としていてガランドウのような街。 夕方。市役所の横のレストランで食事をとる。タブレとトルマというアルメニ

          10月10日 ジンを空ける

          10月9日 ハフパット修道院

          教会なんてここにくるまで山ほどみたから、たいして気分も乗らないんだけど、時間もあるし、せっかく来たし、とりあえずいってみるかとハフパット修道院へ向かう。 午前中に着いた。観光客も誰もいない独り占めの世界遺産。この修道院の中心である聖ヌシャン聖堂に入ってみる。 真っ暗。だんだん目が慣れてくるとすごいところに来てしまったと、おもわず「はぁー」と声を出してしまった。人が3人手を広げてようやく一周するほどの大きな石柱四本に支えられた空間は、石を積み上げ綺麗な曲線を描いたドームにな

          10月9日 ハフパット修道院

          10月8日 最初の街、アラヴェルディ

          朝10時の乗り合いバスでトビリシを出発して、15時00分、アラヴェルディ到着。 バスの車窓から見えた鉄さびにまみれた茶色い塊がアラベルディだった。この街は曇り空がよく似合う。街の半分を占めてしまいそうな巨大な採掘場からは煙も出ておらず人の気配もなく廃墟となっている。コンクリートブロックの団地群は、窓ガラスが割れて、ベランダも壊れて、何もかも壊れてしまっているが、洗濯物があちこちに干してある。ここの人は自分が使わない部屋はどうなってても気にしないのかもしれない。道を走る車は旧

          10月8日 最初の街、アラヴェルディ

          10月7日 アルメニアに向かう

          もっとのんびりしたいけど、できることなら今日中にアルメニアに入っておきたい。ジョージアを出る前にワインも買わないと。「昨日会ったおばあちゃんのスケッチをとっても見たかった。なんなら一緒にスケッチさせてもらいたかったな、きっとその方が素敵な1日になっただろうな。88歳で日本からこんな遠くまで来たんだもの。できあがった絵をどこにかざるのかな」と、とっても後ろ髪をひかれながらウシュグリ10時発、メスティア11時着。4日かけて来たのに、車ならわずか1時間そこらで着く。 乗り合いバス

          10月7日 アルメニアに向かう

          10月6日 のんびり

          朝起きて、顔を洗って、歯を磨いて、トイレにいって、村上春樹のスプートニクの恋人とカメラだけもって宿を出る。犬たちが「ナンカチョーダイ」「ナンカチョーダイ」「ナンカチョーダイ」と寄ってきては、何かしてやる前からしっぽをふったり、お腹を見せたり甘えてくる。 朝日を背に重たい庭先の扉をあけようとしているおじいちゃんやおばあちゃんに「おはよう」と声をかけながら小道を進み、教会の脇を抜け、牛や馬や羊が放牧されている緑の草地を上っていく。この緑の草地はこのまま紅葉した山につながり、そし

          10月6日 のんびり

          10月5日 ウシュグリ村到着

          朝7時に寒さで目が覚める。スッポンポンで自前の寝袋に入り、その上から厚手の毛布を2枚かけて寝たのだが、寒くてしょうがない。スッポンポンだからか。起きて、服を着て、広くとられた外廊下に出てみる。本日も快晴なり。 日に当たると暖かい。綺麗な景色のせいなのか、澄んだ空気のせいなのか、いつも見ている朝日よりさらに鮮度が高い気がする。増築中の隣りの家の屋根に大工さんが2人登り、そんな朝日に浸りながらカンカンカンと小気味よい音を立てながら作業をしている。 朝食を食べ、10時出発。昨日

          10月5日 ウシュグリ村到着

          10月4日 iprariへ

          朝起きるとゲストハウスの窓から3日分の日差しが差し込んでいた。昨日までモノクロだった世界が一気に4Kのテレビになったようで、遙か遠くの木々や岩肌を鮮明にうつしだし、手を伸ばしてみたくもなる。庭にはアコーディオンカーテンのように干されたカラフルなシーツが温かな日差しを浴びている。 朝食をとって9時30分に出発。次のイプラリという村を目指す。 見上げれば雪に覆われた3000mを超える山々が、雲一つない青空をキャンバスに顔を出し、見下ろせば紅葉した木々が遙かに広がっている。時々

          10月4日 iprariへ

          10月3日 3000mの山を越えて

          10月3日。 雨時々曇り。ツビルミを朝10時30分に出発する。7時間かけてアディシという村に到着。道を間違えて1時間はロスをしたから、本当なら6時間くらいで到着できると思う。 コーカサス山脈の一山を超えて来た。一番高いところは標高3000m。そこにはテトヌルディスキー場というスキー場があった。まだ雪は積もっておらずリフトや休憩所も廃墟のようであったが、冬場はスキーの世界大会も行われたりするのだそう。絶景の景色を見ながらマリファナを吸っていた係の人が教えてくれた。そして、アデ

          10月3日 3000mの山を越えて

          10月2日 暖炉を囲む家族と

          10月2日、今日も雨。メスティアからコーカサス山脈の一番奥にあるというウシュグリ村を目指す。70キロの距離を乗り合いバスを使えば2時間半でいけるというが、4日かければ歩いてもいけるというから歩いていくことにする。 10キロのリュックを背負い、5キロのリュックを前に抱え、頭から雨避けのポンチョ羽織り、雨のなかをスタスタあるく。視界は霧でまったく晴れないが、6時間ほど歩いて16時、最初の村であるtsvirmiツビルミに到着。 遙か遠くの方まで伸びる放牧地に牛や羊や馬が点のよう

          10月2日 暖炉を囲む家族と

          10月1日 メスティア ワインバーの窓際で

          朝、8時20分トビリシの駅から電車でスグディディという街へゆく。14時半に到着。駅前に停まっていた乗り合いバスに乗り、メスティアを目指す。メスティアはコーカサス山脈の標高1500mにある2000人ほどの町で、ジョージア人とは言葉も文化も異なるスヴァン人が住み、独自の文化を守っているのだそう。くねくね道を4時間登り、18時半にようやく到着した。 山の斜面に作られた小さな町で、1000年前に建てられたという見張りの塔がいくつも立っていた。町は大雨で寒さが遙か下方から這い上がって

          10月1日 メスティア ワインバーの窓際で

          9月30日 微笑まない国

          6時30分に朝起きて、乗り合いバスで1時間ほどのムツヘタという街にいく。スヴェティツホヴェリ大聖堂とサムタヴォ教会、ジヴァリ教会の世界遺産の教会。ちょうど12時に到着すると教会の鐘がカランカランと鳴り響き、鳥たちが高く立派なドーム屋根から雲一つない空へ飛び立っていった。暑くもなく寒くもない気候。ここも観光客でいっぱい。 スヴェティツホヴェリ大聖堂は、ムツヘタの町のなかに鎮座ましましており、城壁のような石造りの塀に囲まれていた。教会の建て物も大きいが、さらにその二倍ほどの庭に

          9月30日 微笑まない国

          9月28日 出国 ガーマルチョバ

          羽田空港を21時55分発の飛行機、トルコを経由して、ジョージアへ向かう。 第三ターミナルの吉野家で、牛丼のあたまの大盛りに紅ショウガを肉と同じ分だけかけて食べる。つゆだくにし忘れたことを後悔しつつ、混ざり合う牛丼を見ながら耳を開けると、 「すいません忙しいところ。子どもようのカレーの持ち帰りはできますでしょうか?」 「はい。可能でございます。子ども用のカレーの持ち帰り一点でよろしかったでしょうか?」と外国人のお客と外国人の店員が日本人以上に丁寧な日本語で話をしている。 手

          9月28日 出国 ガーマルチョバ