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「なんかいろいろ忙しくって」というコトバのモヤモヤ感の話

たとえば会う機会やLINEが減ってしまった恋人同士の会話だとしましょう。

たとえばNPO等で、会議に顔を出さなくなったり、チャットツールで返信しなくなった数年目のボランティアSTAFFだとしましょう

「なんかいろいろ忙しくて、できてなかった。ごめん」

具体的な理由を言うわけでもなく「忙しい」と言われてしまうと、
儂は、とてもモヤモヤします。

世の中「忙しいならしょうがない」という理屈が、
けっこうな説得力をもってまかり通っているようなのですが、
「忙しい」はそんなに万能じゃないでしょ、って
毎度のように思うのです。

こんな事を言うと、「ははぁん、お前は暇人なんだな。」みたいな
クソ理不尽な対応をされる事もたまにありますが、
納得できません。

そういうひとは
「心を亡くす、って書くじゃない。忙しいとそうなっちゃうんだよ」
などと意味ありげなことを言い出すこともありますが
納得できません。

でも物理的に、ほんとうに、他のこと何もできなくなるくらい、
その人はガチで忙しいのかもしれない。
それを決めつけるわけにはいかないので、
「モヤモヤする」っていう状況になるんですよ。大抵の場合。

 
ただね、儂ほんとに思うのは
「心を亡くすほど忙しい、だから出来なかったんだ」
って言うけど、
「そのことを心から亡くした」のは
「お前の心の問題」であることに変わりはないと思うわけ。

お前が何にコストを裂き、何にストレスを感じているかを
儂は知るすべもないし、わかったようなことは言いたくない。

でも「忙しい」というコトバは
お前がお前の心からそれを亡くしたことの免罪符には
なってないからね。

儂もそう。
あまりにもやりたいこと、やらなくちゃならないことが多すぎる。
手が回ってない。
でも、儂は、儂の心からそれを亡くすことはしない。
なんか忙しいからできないや、なんて言い訳はしない。
「今はこれをやる時期だから手が回ってない」
「体力が尽きてたので読めませんでした」
などの言い訳なら、する。
儂は儂の大切なものは、心から亡くしたくはない。

「なんか忙しくて」をわしが口にした時、
それは儂の時間やアタマに余裕がないことを指しているのではなく、
「ココロの中で、それの重みが無くなった」ことを
指しているに他ならない。

だからどうしても思ってしまうんよ、
「忙しさを理由にしてんじゃねぇよ、
 お前にとってもう、軽くなっちゃってるだけだろ」
と。

でも、それは儂が抱いた印象でしかなく、
ほんとうのお前の多忙さとか余裕は測れない。
さらに言えば、
それがお前にとって軽くなってしまったとしても
(ex.恋人への気持ちが冷めた/ボランティアに飽きた 等)
それを咎める権利なんて、誰にも無い。

だからモヤモヤすんねん。
納得できません。
理屈で理解する努力はいくらでも出来ますけれど。

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