【やまのぼエッセイ No.6】タツイのパン屋は遠くナリニケリ!
オッキイ姉ちゃんは、クリームパンやな?お兄ちゃんは、あんパンでええな?ナカ姉ちゃんは・・・。
日曜の朝は決まって、中古で買ってもらった、大人仕様の自転車を引っ張り出し三角乗りし、隣町の美味しいと評判のタツイのパン屋まで、五人兄姉のそれぞれの好みのパンを買いに行く。
それは、末子で小学低学年頃の私の仕事だった。
昭和三十一、二年頃。実に半世紀以上前の話だ。そんな昔のことを思い出したのは、先日、急死した兄嫁が、荼毘に付されるのに立ち会ったからだ。
骨だけになった義姉に、私の不義理を、無言で諫められたからだ!
義姉が生前のこと。
神戸の彼女から「主人が亡くなったんです!」東京で、その知らせを家電で受けた私は、やっとの思いで「いつ?」と聞く。「三か月前に・・・」私のこころは、受話器を握ったまま、猛烈に乱れッぱなしだった。
「いやね~主人のモノを整理していたら、登ちゃんに会いたい!って、いたるところに書いてあったので・・・」没交渉だから、兄の死を知らせなかったことを謝罪しながら、彼女の話は続く。
「肺がんだったの・・・」「・・・」私は、無機質な受話器を持つ手が、大きく震えるのを隠せなかった。
そして、たった一人の男兄弟。兄への仕打ちの激しさを、猛烈に悔いた。
実父の遺産相続での調停で、ほぼ一年間、揉めに揉めた、兄弟姉妹。それ以来、ろくすっぽ行き来のなかった兄が、亡くなってしまったのだ。
生前、たびたび、兄から誘いの電話を受けながら、頑なに拒み続けた私の誤った選択を後悔した。
「一度、会ってくれ!お前が忙しかったら、オレが東京へ行くから・・・」そうまで懇願していた兄は、自分の死期を悟っていたのだと、義姉の電話を受けながら気づいく私。
人生は選択と後悔と、その修復でできていると思う。
でも、いまだにその修復ができない私に苛立ちを覚える。
オッキイ姉ちゃんは認知症になってしまった。中姉ちゃんもチッサイ姉ちゃんも、義姉の葬儀で挨拶しただけで別れ、東京へ帰って来てしまった。
正直なところ、お兄ちゃんが、あんパン好きだったのか?チッサイ姉ちゃんは何パンが好きだったのか、いまはもう~すっかり忘れてしまった。
子どものころ、貧乏ながらも、あんなに兄姉仲良しだったというのに・・・。
姉たちとの関係の修復手立てを見つけ出せないままだ。
私は来年、後期高齢者になるというのに・・・。