【違いについて】「分かる」「判る」「解る」
三十数年前のサラリーマン時代のこと。
当時の上司である事業部長の口癖のひとつに、「分かる」とは、分かるところまで、分けてみることだ!があった。
際限なく分けて行けば、分かる!に到達できるのだと。
若かりし「やまのぼ」は、真面目ひとすじだったので、「なるほど!」と、鵜呑みしたものだ。
でも、あれは、単に「分かる」の語源が「分ける」から、きているというハナシだけだった。いわば、禅問答か、言葉遊びの類でしかなかったようだ。
そもそも、この世の中には、分けられないモノが多すぎる。つまり、分からないことが多すぎるのだ。
卑近な例として、自分自身の心ですら、分からない!状況に陥ることがある!心など「分けられない」代表選手だろう。
ところで、最近の若者は後ろ姿だけでは、男性なのか?女性なのか?判らない人が多い。極端な人になると、前へ回って観ても、性別が判らない人もいる。
かつては、化粧しているから女性で、髪を短く刈りあげているから男性だ、というように性別が簡単に分かったのものだが・・・。
ここで、『何だ?それッ!』って、読み手を唸らせそうだが・・・
「やまのぼ」が、言いたいことが解かっていただけるだろうか?
同じ訓を持ちながら、異なる漢字で書かれる、「異字同訓」の言葉遊びが、してみたかっただけで、起承転結の「転」になったのだ。
ちなみに、「判る」とは、「物事がそれと判別、判断される」という意味で、「解る」には、「物事の意味や、内容,価値などが理解できる」という意味がある。これに対して、「分かる」は、「判る」「解る」のどちらの意味も網羅することができるようだ。
つまり「分かる」は、万能選手である。
「分かる」と書くのか、「判る」と書くのか、「解る」と書くのか、迷ったとき「分かる」と書けばいいことを、解っていただければ幸いだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?