【企画投稿】パトカーに乗ったことがあります!#私だけかもしれないレア体験
パトカーに1回だけ、乗ったことがある。
パトカーに乗った!というより、乗せられた!というほうが、より正しい表現だろう。それは、私が高校生のときだ。もう60年近く前のことになる。
バイクで老人(男性)を撥ねてしまったのだ。
高校時代は、神戸市灘区で青春を謳歌していた。そのころ、ホンダのスーパーカブ(50cc)を愛用していて、友人から借りたLP版レコードを数枚返しに行く途中のこと。
当時の神戸には、路面電車が走っていた。
路面電車の停留所は、路面より少し高く、線路に沿って長楕円形で、乗降客は車道を横切ることになる。今考えると、危険極まりないが、当時の交通量だと許されたのだろう。
颯爽とその停留所を、通過しかかったとき、一人の老人が歩道から、停留所へ向かって車道を横断し始めた。
もちろん!私はフートブレーキをかける。減速し、老人が停留所に足を掛けたのを確認して、ハンドルアクセルを徐々に回した。
ところが、どうしたことか?その老人は、歩道の方へ戻り始めたのだ!
アッ!と思う間もなく、スーパーカブは老人を撥ねてしまった。よろけて路面に倒れ込む老人を目で追いながら、転倒する私はカブもろとも、路面に叩きつけられた。
誰が呼んでくれたのか?数分もせぬうちに、現場にパトカーがけたたましいサイレンを鳴らせてやってきた。
事情聴取を行われたのだが、老人のケガは運よく軽傷だった。掛けていた老眼鏡で鼻の横っちょに擦り傷ができただけだった。
私は後日、打撲傷に苦しんだのが、その時は気が張っていてか、なんともなかった。
軽傷の老人はそのまま帰宅したのだが、私はパトカーで三宮駅前の派出所まで連れていかれ、コンコンと説教された。いろいろ言われたのだろうが、もう詳しいことは、すっかり忘れてしまっている・・・が。
「カブのハンドルにレコードを掛けたらアカン!」
という注意を受けたことだけは、今でも覚えている。LPレコード数枚の重さでも、ハンドリングに影響を及ぼすことぐらい、当時の私にだって判っていたのだけど・・・。
それを、守られないのが、青春なんだ!と、今になっても思う。
未成年だということで、そのまま帰宅したと記憶している。
とことろが、お話はこれからが本題だ!
数日たったある日のこと。一本の電話が入った!その老人の家族という人からだった。
「家族の大黒柱が、あの事故から、仕事を休んで病院通い。私たちの生活がなりたたなくなった!」というのだ。
私の若い胸は、『えらいことになった!』と、張り裂けんばかりだった。
しかしそこへ、思わぬ救世主が現れた。
過日、他界した9歳上の兄が、「オレが一緒に行ったる!」と、言ってくれたのだ。当時、兄に後光が差していたのを、折にふれて思い出す。
兄同行で訪問した老人宅で、応対に出た家族は、「どうしてくれる!」との一点張り。聞き手に徹していた兄が、「私はこういう者です!」と、内ポケットから名刺を一枚差し出した。
すると!突然!その家族の顔色が変わった!
「なんだったら?出るところへ出ますか?」という、兄貴の追い打ちに、家族は黙ってしまった。
後日、兄から聞いたところによると、仕事を休んでいるというのも、病院通いの話も、全部嘘だったそうだ。老人宅訪問前に、ちゃんと調べてあったのだ!
なんのことはない!質の悪いユスリだった!
ところで、兄の名刺には、勤務先として、Y新聞社と書いてあった!いや!少なくとも、老人宅の家族の人にはそう見えたのだろうが・・・。正確には、Y新聞社傘下の広告代理業の会社の名刺だったのだ。
後日、兄と腹を抱えて笑ったのを、いまでも懐かしく思い出す。
そして、新たに思う!兄の最後に不義理したことが悔やまれてならない。
あの時、助けてくれてありがとう!
いま、神戸の方を向かって、合掌したい心境だ!遠く離れた東京から・・・。