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遺伝子レベルで比較が辞められない¦日記 #18

今日はイルミネーションを見に行った。隣県まで車を走らせて1時間半。駅や公園やらでイルミネーションもどきを偶然見かけることはよくあったけれど、きちんと「我らはイルミネーションだ!」と誇っている電球たちを謁見しに行ったのは初めてかもしれない。
この通りイルミネーションが特別好きというわけではない。が、テンションは上がる。冬特有のイベント。ちょっとしたお出かけ。イレギュラー。友人とはしゃぎ、そして凍えながら、電球でキラキラと照らされるカップルを数えてきた。

この友人と会ったのは実に3ヶ月強ぶり。肌身離さず持っているであろうスマホに連絡しても、一切返事がなかったから、本当に3ヶ月ぶり。迎えに来てくれた彼女の車に乗りながら、私は生きてた?とつい聞いてしまった。
「生きてたし元気だったよ〜」
じゃあ連絡くらいちょうだいよ。その言葉はぐっと飲み干し、ならよかったと笑顔を返す。10年の付き合いになる彼女は、出会った頃からこういう人間だった。ちょいちょい伝えているから、こちらとしてはもう諦め他ない。こういう問題のあるところを差し引いても私は彼女と仲良くしたいから、理解のあるフリをしておく。

理解のあるフリをしているからこそ、ふんわりと、彼女の交友関係を探ってしまう。
「ディズニー行くんだ!いいね〜いつもの3人と?」
「そういえば最近〇〇とは会ってるの?」
「へ〜〜月1くらい??」
彼女が誰とどれくらい交流があるのか、私は知りたくて仕方がない。全然人と連絡を取っていなかったら私だけじゃなかったと安心出来るし、会っていたら会っていたで、私のが会っていると安心出来る。あとは、相手の交友関係と自分の交友関係の数を比べて、落ち込んだり安堵したり。気持ち悪いなあ、私。

探っていることがバレているかバレていないかは分からないけど、しっかり指摘される前に辞めたい。人と比べて良いことなんかないって、よくTwitterでも見かけるし、25年生きてきていい加減自力でも学んだはずなのに。

友人と会うことは楽しいけれど、仕事で見た目で人間関係で家庭環境で、ありとあらゆる条件で無意識に比較して、一喜一憂を繰り返す。単純に疲れる。自分も相手も嫌いになってしまいそうになる。劣等感が残る。勝っても負けても良いことがないのは分かっているのに、私は比較が辞められない。
もしかしたらばっちり遺伝子に組み込まれているのかもしれない。

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