外国人は日本の教科書的な歴史の偉人伝よりもなぜ偉人になったかを知りたいと思っている
今日は歴史について。コロナ禍が長引いていてインバウンドの復活が待ち遠しいですが、渡航条件やフライトが解禁となれば一気に訪日リピーターが押し寄せてくれるのでは、と期待しています。需要が高まっているのですがコロナ禍での観光政策が、ワクチンありき、ゼロ感染のポリシーに基づいているので、先日書いたように残念ながら既に他の国に比べて周回遅れとなっていることは確かです。
訪日リピーターは日本の食文化やポップカルチャーへの関心が高いのですが、それらのオリジナル的な観光コンテンツは元々日本の歴史や伝統から成り立っていることは言うまでもありません。今回はその歴史の見え方、見せ方について。外国人旅行者は表面的な歴史ではなく「彼ら側から見た日本」の深層を知りたいと考えています。
日本の歴史をよく研究しているアメリカ人の友人は、日本人は年表どおりのことや、地名・人名などの固有名詞を漢字で書くことばかり重視しているのか、と非常に的確な問いかけをしています。それに即答することが出来る日本人は少ないのではないでしょうか。
日本の教育構造について論じることは避けます。日本人が歴史の著名人を語るにあたってWho、What、Whenばかりを覚えさせられて、Why、Howを教え込まれていない。これが実は日本観光のパンフレット的な、一辺倒な情報発信に影響しているのではと私は思います。
神社と信長の話をします。
太平洋戦争前の教科書である初等科国史、尋常小学校国史では、織田信長は「勤皇の武将」として説明されていたそうです。しかし戦後はこれと真逆で「戦国時代の革命児」
正反対ですね。
特に我々、昭和生まれや平成生まれの世代は、信長は比叡山延暦寺の焼き討ちなどをした非情な武将としてのイメージが強い。令和生まれの子たちも同様のイメージを教科書や大河ドラマなどで持つことになるでしょう。。
最近では、朝倉や浅井の勢力に寄っていた仏教に対抗した措置であるとの見方もあるそうです。信長は、神社を支援していたとのこと。
私はこの点が気になりました。
20年に1度行われる伊勢神宮で最大の神事「式年遷宮」が約120年間も行われない時期が続いていました。この神事は伊勢神宮の建物を新しく建て替える儀式。そのためには莫大な費用がかかる。信長は3000貫(現代の価値で3億5000万円)を寄付し、式年遷宮を復活させました。戦場に向かう前に何度も神社で必勝祈願をしていたと言われています。
観光庁による訪日外国人への調査で、訪日中にしたこととして日本の歴史・伝統文化体験が約26%でした。
神社は人気で、世界最大の旅行情報サイト、トリップアドバイザーで2019年まで京都の「伏見稲荷大社」が外国人旅行者の間で6年連続1位でした。
今までの見え方を変えると、説明の仕方にも幅が出る。日本の歴史に興味を持った外国人旅行者を迎え入れるにあたって、パンフレットや観光サイトに載っているようなありきたりの答えを持っているだけではもはや大喜びはしてもらえない。
様々な見方、伝え方ができるようにするにはどうすればよいか、コロナ禍のうちに模索していきたいと思います。
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