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微熱少年

年末に新型コロナウィルス感染症に感染してしまったことがわかった家族がいて、病院への搬送・付き添いなど、1番の濃厚接触者となったぼくも、元旦から喉の調子が悪くなった。熱を測ってみると、36.7°とか36.9°とか発熱とまでは言わない微熱な感じ。

調べると発熱の定義というのはあって、37.5°以上を言うらしい。
平熱は、36~37°。
つまり、微熱というのは、平熱と発熱の間37〜37.4°というあたりなのだそうだ。となると、ぼくの37°未満は平熱なのである。
え〜。。。平熱が36.1くらいなぼくはちょっと意義あり。

一方で、平熱よりも0.5〜0.7°高い熱を微熱とする、という考えもあるらしい。となると、ぼくの把握しているジブンの平熱を考えると、36.6°からは”微熱”といえる。
そうそう、そうなんだよ。

だけど、平熱が何度かなんて、本人の自己申告だし、申告が義務でなければ、お医者さんは知りようがありません。
というか知る必要もない仔細なことなのかもしれない?

微熱があるって認識した時って、お医者にとっては平熱でも、ぼくにとっては熱が出た状態で、体調がよくなくって、つらい時間帯。

そんなこんなな思いを持ちつつ、微熱を抱えながら、微熱という言葉の持つふわっとした心持ちだったり、すごい熱量での集中度合いではないけれど、なんとも言えない、そのことに傾いた気持ちで何かを見ている、何かをしているジブン、みたいな大人になる前のこどもでも大人でもない、ちょっと中途半端で、微妙な季節のころの、”微熱な感覚”ってどんな風だったかな?なんて考えてた。

こんな風に「微熱」をとらえることになったきっかけは作詞家の松本隆だ。

彼の小説「微熱少年」でなく、もっと前に出されていた同じタイトルのエッセイ集。
確か中学の頃に読んだような。

きっと松本隆にとっては大切なワードなのだろうと思っていた。

微熱があるように頬がバラ色に燃える
変ね まっすぐ見つめられるとあがるみたい
- 中略 -
燃える頬かくして
風邪ひいたみたいよと

松田聖子 P・R・E・S・E・N・T 作詞 松本隆

風邪をひかなければ、微熱にならなくて、微熱になったらいつもツラさだけが先に立つぼくは、いまよりも、うんとうんと若かったあのころに、こんな感覚の”微熱”にあこがれたような気持ちがあったことを、ちょっと思い出して、感受性の問題だとあらためて気づいたのでした。

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