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チューリップハットと母の事

少し前にInstagramに
同じ画像と文章をupしました。
そしたら、何人かの方が
良かったとコメントを
下さいました。
別の記事にコメントを
初めてくれた方もいて
フォロワーの方と
距離が縮まった気がして
嬉しかったので
こちらにも載せておきます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

なんだか撮るのが下手で
申し訳ない感じなんです💦
cakeさんのチューリップハットの
パターンです。
数年前に裁断、芯張りまでして
手を付けずにいたのですが
やっと縫いました。

懐かしい、懐かしいと
思いながら縫いました☺️

10年くらい、もっと前かな?
世の中でナチュラル系や
handmade流行りの頃、
この形をたくさん縫いました。
委託先で大人気で、
全部売れてしまいました。 
主に野球部のお子さんがいる
お母さん方が買ってくれたそうでした。

ふと、なんだか
自分用も1つ欲しくて
裁断したけど縫えなくて 
仕舞い込んでいました。

あの頃は必死で縫っていたけれど、 
今は気楽に、そしてあの頃より 
短時間で上手に縫えました。
時間の流れを感じました。

ここから後は、母の話で、
長くなるし、
苦手な方は飛ばして下さいね。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

あの頃は試作や失敗作は
母に押し付けに行って、
喜んで使ってくれて、
それが普通でした。
どんどん持って来て、
庭仕事の時に使うからと
笑っていました。
娘が作った物を使えるなんて
嬉しいし誇らしいと
言ってくれました。
でも、もう今は、
押し付けに行ける母が
いなくなってしまいました。

2月の末に母が亡くなってから
今まで、わりと静かに受け止めて
いたと思います。
普通の日常に戻り、
パートにも行き、
縫製仕事も仕上げて、
子供の部活の会計もして、
ただ、変わったのは 
病院に行く時間が
毎日の生活から 
無くなった事くらいでした。

昨日の午後、この帽子を仕上げて
私の今の髪型には
あまり似合わないので
どうしようかなと思った時に
不意打ちのように、
もう持って行って押しつける 
母はいないと現実に向き合いました。
ちゃんと泣けていませんでした。

気持ちよく晴れた5月の終わり、
去年までと同じように、
夏の予感がする空気と空、
窓を開けて外の街並みを見て、
「あなたの好きな夏が来るね」と、
毎年、言ってくれてた母だけが
いないと思いました。

1人だったので、
誰も言ってくれないので、
泣いていいよ、と、
自分で自分に言って
少しの間、泣きました。
そして、ティッシュもたくさん使って
鼻も噛んで、私は頭を上げて、
前を見よう、
これからの事を考えようと、 
思いました。

母とは気の合わない所もあり
たくさん言い合いもしました。
高齢になって扱いにくい事も
多くなっていました。
病院のベッドで弱ってしまって
声も出せなくなった母に
毎日会いに行きました。
辛いはずなのに、
それは温かい時間でした。
声が出ないと、もう、
言い合いすら出来ないのです。
自分では何も出来なくなった母、
それを支えてるはずの私、
でも、母が現実に生きている
その存在に、私は子供として
甘えられていたのだと思います。
人間として活動できる範囲が
狭くなってしまった母だけが、
私の甘えられる場所だったのだと
思います。
だから、
お母さんに会いに行こう、と、
もうすぐ終わりが来る
親子の時間を大事に
小さい子供のように
毎日とことこと
つらくも思わず
病室に向かっていたのだと
今は判ります。

私が話しかけても
返事も出来なくなってましたが
私が帰る時は、
痩せ細ったガリガリの手を
布団から無理やりに
肘までニョキっと出して
バイバイと振ってくれました。
力を振り絞って振ってくれました。
やがて、それすらも
出来なくなりました。

不謹慎かもしれないけれど、
そのバイバイの光景を思い出すと、
少し笑ってしまうのです。
母らしいなと、思えるのです。

最近、気が付いたのです。
すぐではないかもしれないけれど
ゆくゆくは私の順番も来ます。
その時のために、 
しておかないといけない事、
誰かに話しておきたい事、
そして、私自身が
どうしてもやりたい事、
見ておきたいものも
沢山あります。
のんびりしてる場合ではないし、
いつまでも泣いてもいられません。

この帽子の行く先は
もう無いけれど、
私は自分が向かう方向を
いつでも、ちゃんと見ていようと
思います。

ここまで読んで下さった方、
本当にありがとうございました!

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