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おもむき -1/2-

その日、その季節、その時代ならではの趣が、ある。
良い意味でも、悪い意味でも、「滑稽」なもの
そもそも、"稽" という字には、『かんがえさせられる』といった意味があるらしい

100人中100人が「スゴい」と感じるコトに限らず、誰も気に留めなかったような、そんな事物に、意識の集中する瞬間が、ある。

今日はそんな、僕にとっての「滑稽」で、「趣のある」、をかしな話。


僕は、毎食ごとに服薬している。
かれこれ数年間飲み続けているものの、症状にこれといった改善は見られないため、毎度、薬をプチ、プチ、と手のひらに出しては、己の「潜在的な無意識」という逆説に驚かされる。

この多種多様な薬のために、いったい幾ら費やしてきたのか、計算はしないでおく。
気の遠くなるような数字が目に見えるだろう。

しかし、自らの意思で医者にかかり、医者から推奨された薬を、何の疑問も抱かず服用している、自分自身の従順な意識を、時折僕は、愛らしく感じてしまう。


これは余談だが、
「一度薬に頼ると、いざという時、薬がなければ乗り越えられない身体になる」
と、根性論も甚だしい台詞に冒されていた時期がある。

そうして頭痛にも腹痛にも耐えてきた10代の頃、この台詞を吐いた当の本人は、更年期に効くという高い漢方を取り寄せていた
東洋医学なら良し、とする母の神経が、僕には滑稽で仕方がなかった。

もちろん、この「滑稽」は、どちらかと言えば、「かたはらいたい」に近しいニュアンスを含んでいる。


斯くして今日、「プラシーボ効果」という言葉がありながら、一向に自分を騙せないほどの、強烈な思念に取り憑かれているにもかかわらず、当然のように処方薬に手を伸ばす「患者」。

いつになったらこの習慣が生活から失せるのか。
失せた頃には、なくなった習慣を不安に想うのか。

「自分のための規律」と札の付いた、意味のない錠剤に、半ば依存でしがみつく病人には、なんとも言えない趣があると思う。


オシャレ

僕は学生時代、今では問題視されるほど、規則の厳しい学校に通っていた。
少子高齢化の加速するド田舎の私立だった。
制服の着こなし、髪型、靴下、鞄、キーホルダー… 何においても、「校則の壁」が僕らを囲っていた。

日本の流行の最先端である渋谷にて、僕は、都会の女子中高生の「オシャレ」を知る。
否、地元を制していた規則の古さに、時代を感じた。
17歳、受験シーズンの冬だった。

僕が日常で見ていた、膝下丈のスカート、半端な丈の靴下を履いているような子は、彼処には誰ひとりいなかった。

高層のビルが立ちはだかり、ただでさえ風の強い真冬を、生足で耐え抜く女子生徒。
何のための衣類なのか、何のための修行なのか、見ているだけでも鳥肌の立つ光景だった。

彼女たちの首元を覆う、色味豊かな大判のマフラーに、さっぱり意味を感じない。
身体の半分が「裸」に等しい。

大学の試験会場で、隣席になった同い年の女子高生が、カイロを握りしめる姿は、滑稽そのものであった。
僕は、寒さのあまり血管の浮き出た彼女の脚と、青紫色になった膝を心配した。
かじかむ指をあたためる前に、脚を隠すべきなのでは、と。

彼女たちの信念は、僕の心を撃ち抜いた。
無論、性的な意味ではなく、身を挺して「オシャレ道」を突き進む彼女たちは、立派の一言に尽きる。今でもそう思う。
僕には在らざる意識であった。


僕の高校の話になるが、
校則が厳しいからといって、皆がひたむきにそれを死守していたわけではない。
前述のような「都会のオシャレ」を先取りしていた思春期たちも、田舎町でそれなりに、彼女たちなりのファッションロードを突き詰めていたのだ。


彼女たちが耐え抜いていたのは、寒さというよりも、教員たちの怒号だろう。
よくもまあ、そこまで言われて貫けるな、という意思の固さだった。

髪を結うゴムひとつとっても、見つかれば最後、口うるさく追いかけ回されるような学校の中で、教員の目を盗みながら、ショッキングピンクの髪留めを使っていた子。

折れば折るだけ型が付き、お辞儀をすれば尻が浮いて見えるような、「その制服ならではの不恰好」を恐れることなく、スカートのウエストを畳み続ける子。

僕の印象に一番強く残っているのは、「折り皺がバレること」を避けるために、わざわざスカートを2着用意していた子。

校内はおろか、校外に出たって、僕たちに性の眼差しを向ける者などいないほどの田舎で、何がそこまで彼女たちを奮い立たせるのか、とても理解が追いつかなかった。

そして何より、「大人の目を盗んで悪いことをする」のハードルの低さが、なんとも可愛らしかった。

僕は小心者かつ、オシャレ指数の意識の低い生徒だったので、校則違反はせいぜい置き勉が限界だったが、学校が守り抜く歴史と伝統、そして反省文の数々を、確固たる意思で破って貫いた彼女たちの青春は、まさに我慢の賜物であったと言えよう。


僕の思う「滑稽」な事物は、まだまだある。
きっとこの先も、僕にしか視えない「趣」が、そこらじゅうに散らばっている。

みんなの目に映るそれが何だったのかも、知りたい。
個々人によって、趣の在り方はそれぞれであり、また、それがその人のフェティシズムに繋がることもあり得るだろう。


この続編は、明日にでも投稿するつもりだ。
どうか、楽しみにしていてほしい。

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