見出し画像

言葉は自分の外にある。


今秋から参加していた『応援しあう東北』というマイプロ的コミュニティが、いったんのフィナーレを迎えた。「みなさんお疲れさまでした〜」「ありがとうございました〜」なんて言いあった。とはいえ、とあるメンターの「これからが始まり」という言葉の通り、Slackを中心に今後もコミュニティは回っていくのだろう。僕個人としても、より多くの人と繋がりたいと思っている。

4〜6人ほどで分けられたクラスにて、「のぼさんは言葉を持ってるのが魅力だよね〜」と言われた。それまでの“ホームルーム”と言われる集まりでの言動や、SNSを発信を見てそう感じてくれていたらしい。僕にとっては、とても新鮮な感覚だった。言葉を持っているのは、僕自身ではないと思っていたからだ。

僕はコミュニティで人と出会ったり話したり、つまり外的な作用を受けて発言していただけだ。だから僕自身はむしろ“空っぽ”で、周りのみなさんが僕に言葉を授けてくれたという感覚である。だからこそ、そこに後の評価につながる「共感」が生まれていたのだろう。極端な話、僕がひとりぼっちだったなら、何にも口を開けていないはずだ。何の文字も紡げていないはずだ。

思えば『応援しあう東北』に参加できたおかげで、いくつかのnoteのネタも稼げた。いや、そうじゃないな、新たな発見が増え、自分の価値観も広がった。人脈もそう。初めて知った地域もあったっけ。もはや言葉だけに限った話でもなくなってきたが、僕は外的な作用を通じて、それなりに言動を重ねていたのだろう。だから、繰り返しになるが、僕自身が言葉を持っているわけではなかったと思っているのである。


いつもいつもありがとうございます〜。