看護師ふただび
…………続き フリーター生活では一人暮らしは無理ということを痛感し 生活の為に看護師にもどることにした
はるか昔の記憶なので思い出すかぎり書いてみる
とっかかりにナースバンクの公開就活に出向いた(当時どうやってそのような行動ができたのか覚えていない)ひとりの年配の女性に声をかけられ個人経営の〇〇病院の事務長さんだった 日勤のみの希望でもよいとのことで、即採用になった
若干のブランクはあったが、病棟の日勤
勤務だったので慣れるまでに時間はかからなかった まずは点滴処置を習得できた
ほどなくして外来の看護師さんが退職され私が外来にまわされた 内科と整形外科の病院で内科の外来勤務になった
外来勤務では 昼からの整形外科のオペ介助 夕方からの外来当番制 救急外来の当番制の業務があった あと内科外来では腹部エコー、胃カメラの検査日もあり覚えることが多かった 20代だから頑張れたのかいろんなことがあった
ひとりで外来をきりもりする、採血、心電図、少しづつ要領を覚えこなしていった 実習以来のオペ室業務、個人病院のオペ室は独特だった 3人のナースで私は麻酔科医のかわりのように患者のバイタルチェックや外回りの器械出しなどを受け持った
時にオペ中のレントゲンを画像処理しにいったこともある フィルムの時代である 何でも屋さんだった 大きいオペになると日にちが変わるまでオペ室にいた 帰宅が深夜、そしてまた朝がくる生活だった 20代だからできたのだろう 今では考えられない 日曜日、祝日の救急の電話は恐怖だった 整形がらみならまだしも、胃から出血、脳挫傷、とてもここでは見られない患者が運びこまれ血管確保に手こずっているとバイトの当直医から罵倒された つくづく私はポンコツだと思い知らされた 恐い思いをなんどもした ………ここは長くいるところではないかも思いはじめたころ2年が経っていた 次の職場を探した 突撃面接に持ち込み、採用がきまった 辞表を提出した ほどなくしてその個人〇〇病院は不正がばれて警察沙汰となり閉院になった
辞め時だった 私の第六感があたった
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