管理職が務まらす12年間頑張った職場を退職した ひどい辞め方をしてしまった そうするしかなかった そして一人暮らしもやめることに決めた 実家に地元に帰った案ずるより産むが易しで家族は受け入れてくれた 姪っ子 甥っ子も何も聞いてこなかった 泣きべそで帰った まだ食欲はなかった 鬱が続いていた 脂肪が激減った気がついたら家の廊下で倒れていたこともあった ぼっーっと過ごしていた 高校生の時に車の免許をとっていたが一人暮らしの地では車は不要でペーパードライバーだった 地元では1人1台
胃カメラ室から外来担当になった はじめは消化器外来 年配の優しいドクターのもとについた 健診施設の外来は健診で要精密検査が必要とされる受診者や胃カメラで定期的にお薬を処方している患者 従来からこの外来をかかりつけ医として通院してくる患者が主だった 患者はすこぶる多かった 慣れないカルテが大量にまわってくる 終わりの時間がきても終わらない 午後からはカルテの整理、精密検査の結果報告書を書くことに追われた 看護師なのだが事務作業が大半を占めていた 数年して担当のローテーションにな
初めての所属先は内勤の『胃カメラ室』だった 前職で胃カメラは触ったことがあったが経験が浅かった 一から指導してもらった ここでのルール、流れ、介助の仕方連日メモにとら必死に覚えていった 新人なので誰よりも早く出勤し準備をしていった 真面目、几帳面、段取りよく検査できように頑張った …………後にこの良かれと思って行動していたことが迷惑、頼まれてもいないと知らされたのは………まだまだ先のお話。 健診、精密検査のための胃カメラ検査、多くの患者さんをいかに早くこなしていくかが問われた
気になっていた健診施設で働くことになった はじめはバイト採用で健診バスに乗って採血しまくった とある企業の健診で『心電図検査』は女性にしてほしいと要望があった 検査技師は男性しかおらず他の看護師は心電図ができない 私に声がかかった 〇〇病院でさんざん検査してきたので私が心電図検査を担当するとこになった役に立ったみたいだった 人生に無駄なことはない 経験が役にたった と思えた 何でも屋と重宝がられた ウワサが広がったらしい 暫くして本採用となった 健診施設の外来(内勤)を命じら
…………続き フリーター生活では一人暮らしは無理ということを痛感し 生活の為に看護師にもどることにした はるか昔の記憶なので思い出すかぎり書いてみる とっかかりにナースバンクの公開就活に出向いた(当時どうやってそのような行動ができたのか覚えていない)ひとりの年配の女性に声をかけられ個人経営の〇〇病院の事務長さんだった 日勤のみの希望でもよいとのことで、即採用になった 若干のブランクはあったが、病棟の日勤 勤務だったので慣れるまでに時間はかからなかった まずは点滴処置を習得でき
X(旧ツイッター)をつい覗いてしまう 信じられないこと 本当なのか 嘘なのか惑わされることが書いてある 恐い 知らないほうがいいのかもしれない でも真実、本当のことが知りたいと思う 身近にも 隣のことも気になる あの日何があったのかどうも様子がおかしい………… 知るすべがない いやな予感がする 思い過ごしであってほしい 今日はなんだか心がワサワサする
ラジオが好きです といってもYouTubeで聴くことが多いのだが ご贔屓さんはあいはらさんのパララジオ 東野ダディのホンモノラジオ 東野VSも好き メッセンジャーさんのそれゆけも好き そんななか本日東野VSの東野ダディソフビ人形をゲットできました 昨日からソワソワ落ち着かない 13時に速攻買えたー 久しぶりに嬉しい気分になった ほッとして書いてしまいましたとさ
寮生活から2つ目のマンション生活をしていた 賑やかな街に住んでいた 家賃も高かった 看護師の時の貯金をくいつぶしていた はじめのバイトは『陶器市』年下の若い子たちと短期間バイト 次は喫茶店で長く勤めた 土日モーニングが忙しかった 次は古着屋さん オールデイズのようなアメリカンなお店 オーナーが怖かった オーナーの妹さんがロスから仕入れてきてたまにお店に来た ディスプレイが苦手だった 一緒にはたらくバイトの子は上手に古着を着こなしていた 私は中途半端だった その子に事務所のお茶
一人暮らしになった がはじめは病院の寮生活 配属先は『集中治療室』びっくりしたけど 最前線で………30数年前だが………なんとなく嬉しかった 同期は7人、わけありでたくさん新人が配属された 白衣を脱いでブルーの簡素な制服に着替える 独特のホール 逃げ場がない 何にもわからない たくさんの管につながれた意識のない重症患者さんが6人 頻回なモニター音 急激な症状の変化 目まぐるしく どんくさい私はついていけるのだろか 怖かった 加えて3交替の夜勤勤務、食生活、睡眠生活もみだれぐち
憧れるの高校での生活はさんざんだった 3年生 看護学校コースになった 多くの同級生は大学病院の看護学校を希望した 私はまた同じ顔がいやだったので 違う国立系の看護学校へ進んだ 勉強したので合格した 今の性格からは考えられないけど3年間を寮生活を希望した 30年すぎまえは温暖化ではなかったので夏でもクーラー扇風機なし、団扇、足元に水たらいで勉強した 希望に満ち溢れ学生で若かったので毎日の実習 過酷な記録用紙との戦い 過酷なテスト期間をみんなと頑張った 先輩方との交流が楽しかった
noteを書いてみたくなったのはここのところの本をよむことからかな………… 以前はアトランダムにいろいろな作家の本をよんでいた ある時『死神の精度』伊坂幸太郎さんの本を読んだ とたんに伊坂作品に魅了され 中古店においてある伊坂作品を買い漁りよみまくった 今も読んでいる 文庫本ばかりだが、とにかく世界に浸れる………フラッシュライフ 砂漠 マリアビートル シーソーモンスター ぱっと記憶に残る作品、まだある気がするけどいつも思い浮かぶのはこの作品、伊坂作品は犯罪者が主人公になってい
自分の生い立ち 1967年10月にこの世に生を受けた 幼いころのことはあまり覚えていない かいつまんで書いてみる 小学生 4年生まではおとなしく過ごしたような気がする 5年生から活発になって男子女子でグループつくって、いじめたり、いじめられたり、初恋して交換日記したり、家に呼んで ベータのビデオみたりした 初恋はほんとは違う男子だった その子とつきあえばよかったのになんでかな 中学生になるまえに『あの子きたらいじめてやる』と噂話をきいて怖くなった 中学生 男子を意識するように
なんか毎日落ち着かない 常になにかに追われている ほっとできない 完璧主義から解放されたい 早くあの世にいきたい