おおまじめ

おおまじめに生きてるけど、うまくいきません。

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最近の記事

「悩みなさそうでいいね」と言われてもヘラヘラ笑い続けたことのある人には、全員幸せになってほしい

私はよく「悩みなさそうでいいよね〜」と言われる。 たぶん、笑顔がデフォルトだから常に楽しそうに見えるんだと思う。 でもこの笑顔のデフォルト装備は、私が円満にこの世を生き抜くために身につけた武装だ。 物心ついた頃から、「ニコニコしていると周りの人も楽しそう」と気づき、それからよく笑うようになって、いつの間にか無意識でもニコニコできるようになった。 だから、以前抗うつ剤を飲んでいた時でも、「悩みなさそうでいいよね」と言われたことがある。 さすがに悲しくなって、「実は精神

    • 学生の時に書いた人生設計に、1mmもカスっていない

      断捨離をしていたら、大学生の頃に書いた人生設計グラフが出てきた。 その内容は、 30歳 結婚 32歳 第一子出産 34歳 第二子出産 36歳 復職 だった。 今、私は30歳。 結婚どころか彼氏もいない。 これを書いた大学生の私が知ったら、さぞがっかりするだろう。 いや、でも「そんな気もしたよ」と言いそうな気もする。 ただ、過去の自分の期待に応えられていないことが申し訳なく、切なく、すぐさま紙は破り捨てた。 これを書いた時は、まさか2年後に病気になって、大好きな海

      • 夢の話

        仲良くなった子2人(現実世界にはいない)と一緒に水族館に行く夢を見た。 水族館の入り口へと続く長いエスカレーターに乗っている時に、夢の中だけど「楽しい!」という気持ちがむくむく湧いてきて、 「こんなに充実した休日過ごすの久しぶりすぎる!!」って2人に言った。 言った直後の2人の顔を見た瞬間、「今の発言適切じゃなかったかも。2人と一緒に過ごせるのが楽しいって言えばよかった。さっきの言い方じゃ、自分本位だと思われちゃうかな。楽しい気持ち、ちゃんと伝わったかな」 と、高速で頭

        • 私が選挙に行く理由

          正直、支持したいと思える政党もなければ、応援したい候補者もいない。 それでも私が欠かさず選挙に行く理由は2つ。 1つは、昔の女性たちが勝ち取ってくれた選挙権をムダにしたくないから。 女性に生まれただけで、意見を述べることさえ許されなかった時代に、戦ってくれた女性たちのことを思うと、重い腰を上げられる。 私の重い腰なんて、選挙権を勝ち取ることに比べたら羽根のように軽い。 私が選挙に行くもう1つの理由は、とりあえず「今の日本と政治に満足してないですよ」という意見を届かな

          スキルアップが重視される時代に、アラサーにしてダンスを始めた

          スキルアップ、副業、タイパ・・・ 世の中のスピードが早くて、資本主義の日本では、いかに効率がいいか、お金になるかが何かと重視されがちである。 そんな時代の流れの中、私は子どもの時からずっと習ってみたかったダンスを始めた。 ダンサーになりたいわけでも、ダンス講師になりたいわけでもない。 ただ、楽しそうに踊ってる人に憧れて、 「私もあんな風に踊ってみたい」 そう思ったから。 まったくの未経験だったから、最初は何となくみんなと同じ方向に動くのがやっとだったし、仕事が忙しく

          スキルアップが重視される時代に、アラサーにしてダンスを始めた

          私が、私のために行動できた日

          ここ最近ずっと体調を崩している。 仕事には行くけれど、満身創痍な状態で週5日を何とかやり過ごし、土日は体力をマイナスからゼロに戻すためにひたすら休む。 この繰り返しで、さすがにメンタルにも影響が出てきた。 今日も予定は病院のみ。 体調が思うように回復しないから、楽しみにしていた予定をキャンセルして病院に行き、医療費に高いお金が消える。 文章にするだけでも悲しすぎる日々。 「このままじゃあ、私が可哀想」 そこで、病院の帰りにスタバに向かった。 ずーっと飲みたかっ

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          「おばさん」という言葉の暴力性

          「おばさん」という言葉を、いい意味で使っている人っているのだろうか? 私は自分がアラサーだから敏感になっているのか、「おばさん」という言葉を聞くたびに、その裏にマイナスな想いが込められているようにしか思えない。 というか、そういう場面にしか遭遇しない。 「あのおばさんさあ」 「これおばさんっぽいよね」 この会話を聞いて、ポジティブを想起する人はどれくらいいるのだろう。 この2つの文章の「おばさん」の部分を「女性」に変えてみる。 「あの女性さあ」 「これ女性っぽいよ

          「おばさん」という言葉の暴力性

          私は、私を貶めない

          「未来のためにできること」 何があるだろうと考えた時に、1番に思い浮かんだのが「私は、私を貶めない」だった。 思考のクセとして、他人には絶対言わないようなことも自分には躊躇なく言ってしまうところがある。 「なんでそんなにできないの」 「そんなんじゃダメだよ」 「いい歳して何やってるの」 他人にはそんなこと言えないし、そう感じること自体も少ないけど、自分にはバンバン言う。 「私は、私を貶めない」 これは未来の私のためでもあるけれど、これらの言葉を、思考を、外の世界に

          私は、私を貶めない

          これという理由がないけど、生きづらい人いる?

          生きづらさを抱えている人の多くには、何かしらの理由がある。 毒親だったり、LGBTQだったり、障がいがあったり、いじめられた過去があったり・・・ 明確な原因があると、それが生きづらさに影響することは想像に難くない。 でも、私は明確な理由は何もないのに生きづらい。 親ガチャで言ったら大成功だなと思うくらい家庭環境もいいし、性的指向もマジョリティだし、大人になって持病ができたけど、障がいは特にないし、いじめられたこともあるけど、トラウマになるほどのものでもない。 でも、

          これという理由がないけど、生きづらい人いる?

          みんなどれくらい自分のことを理解してる?

          私は、私がわからない。 もちろん好きな物や嫌いな物は、だいたいわかる。 でも、最近ふと「これって本当に私の好きな物?」と思うことが多い。 それはたいてい小さいこと。 たとえば、仕事に来ていく服。 毎朝悩みたくないから、制服化して当たり障りのない服を着ているが、着ていてテンションは上がらない。 むしろ、「ダサいかなあ」と小さく悩むことが多い。 でも、これって誰目線? 私が「ダサいから嫌」だと思うのか、「周りから見てダサいと思われるから嫌」なのか。 あまりにも自

          みんなどれくらい自分のことを理解してる?

          「こどおば」と言うに相応しい部屋に住んでいる

          「近い将来、実家出る予定だし、気に入ってないけどこのままでいっか〜」と思い続けて、早5年。 大小合わせて5つ以上ある人形 ちいかわの数多のグッズ クローバー柄のカーテン 学習机 ごちゃついた棚 ねずみ色のカーペット 子どもの頃から使っている部屋だから、まさに子ども部屋要素もりもりなのである。 カーテンを変えたいと何度も思ったけれど、「一人暮らしする家にはサイズが合わないかもしれないしな〜」と思うと買いきれず。 でも、一人暮らしを考え始めてもう5年も経っていると思うと改

          「こどおば」と言うに相応しい部屋に住んでいる

          蚊はいずれ、秋の虫になるのかも

          夏は暑すぎて、お出かけもままならないことが多いので、去年の9月ごろに撮った写真を。 蚊取り線香を見て、「夏だなあ」と思う人は年々減ってるんじゃないかな。 そもそも、この蚊取り線香入れる豚さんは「かやり豚」と言うらしい。 夏の文化も、異常な暑さとともにどんどん移り変わっていく。 この切ない気持ちも、夏の終わりと重なるような。 #夏の1コマ

          蚊はいずれ、秋の虫になるのかも

          両親の大きな愛と、自分の不甲斐なさを痛感して泣いた、三十路の夜

          最近、メンタルがちょっと危うい。 どんなこともネガティブに捉えてしまうし、不安感も強く、息苦しいことも多い。 それによって、肩こり・首こりが酷くなっていて、常にガチガチになっている。 あまりにも酷かったので、ちょっとおちゃらけながら「肩叩きして〜」と母に言ったら、本当に肩叩きをしてくれた。 それを見ていた父も「俺もやってあげる」と言って、30歳にして両親に肩叩きをしてもらうことになった。 普通は逆である。 申し訳ないなあと思いつつ、2人の手が温かくて、心配してくれ

          両親の大きな愛と、自分の不甲斐なさを痛感して泣いた、三十路の夜

          仕事ができる人と思われたい病

          なぜか昔から、「仕事ができる人」への憧れが異常に強く、それゆえに「仕事ができない人」と思われることに恐怖すら抱く。 憧れるのは全然わかるのだけれど、恐怖や恥、苛立ちを覚えるまで行ってしまうのは本当にどうにかしたい。 「適材適所」という言葉があるように、一人ひとり得意なことも苦手なことも違うから、一概に仕事ができる/できないとは言えないことは頭ではわかっているのに。 改めて、仕事のできる人でありたいとここまで強く執着してしまう理由について考えてみて、ひとつ思い当たったこと

          仕事ができる人と思われたい病

          「今日の月は、柿の種みたいだなあ」と思える日々を過ごしたい

          仕事帰り、最寄駅に降り立って空を見上げると、オレンジ色の三日月がじんわりと浮かんでいた。 それを見て、「柿の種みたいだなあ」と思って、心の中でニヤリとした。 家に着いて、テレビを付けると、「巨大地震注意」の文字が。 近い将来、南海トラフ地震が起きるかもしれない。 何でもない毎日が、当たり前でないことを思い知らされて、「今日は決して楽しい一日ではなかったけど、今日みたいな平和な日常が続いてほしいなあ」と心から思う一日になった。

          「今日の月は、柿の種みたいだなあ」と思える日々を過ごしたい

          友達が命を育てている時に、私は時間を溶かしている

          疲れていると、XとかYouTubeのショート動画とかを延々と見てしまう。 疲れているからこそ、早く寝て回復したいのに、疲れている時に限って止められない。 そして「無駄な時間を過ごしてしまった・・・」と自己嫌悪に陥るまでがセット。 同じダラダラでも、漫画読んだり本読んだりしたほうが充実感があるのはわかっているのに、なぜかXやYouTubeのショート動画などを見てしまう。 「脳は疲れていると、どうでもいい情報を流し見するのが辞められなくなる」みたいなことを何かで見たけど、

          友達が命を育てている時に、私は時間を溶かしている