桜子先生 3 ふみちゃん
「わてのふみちゃんは忘れられへん。わては、世界一のあほな親やった」
とつぶやきました。
母は、80歳すぎていましたが、心に刺さった抜けない棘を触っているみたいでした。
母の三人目の子も、女の子でした。ふみちゃんは三女でした。
母は何を思ったのか、今まで一度も話したことのない、ふみちゃんのことを話し始めました。
「あのころは診察が忙しくて、朝早くから沢山の患者さんが玄関で待っていた。戦争が始まっていたし、他に病院や開業医は一軒もないし、村中探しても車はなかった。唯一の乗り物は荷車だった時代や、ケガ人や動けない人は荷車でつれて来た。汽車の止まる駅にはハイヤーがあったけど、村の人にとっては、ないのと同じだった。診察に来れない人は、午後から自転車で往診した」
「あの頃の医者は、わて一人やったから、忙しかった。
外科も内科も小児科も、眼科も耳鼻科も何でも診る医者やった。
相手が痛い辛いの病人やから、休診する訳にはいかん。わてのお産の時は、女医専の後輩に来てもらった。みんな田舎は好き、面白いと言って気持ちよく手伝ってくれた。」
母はあの日のことを、とつとつと話し始めました。
「あれは、ふみちゃんがもうすぐ二歳になるころだった。末っ子娘は可愛いのは当たり前やけど、特にふみちゃんは可愛くて愛らしかった。ずっと抱きしめていていたいと毎日思ってたなぁ。でも玄関で朝早くから待つ患者さんのこと思うと気が急いて、愛らしいふみちゃんに後神髪引かれる思いで、子守の成ちゃんにふみちゃんを渡して、あの日も診察室に出た。
あの朝、ふみちゃんはいつもと違っていたはずだったけど、わては気がつかなかった。灯台元暗しやった。何回後悔してもしきれへん。午後も往診があって、やっと終わって帰って来た」
「私も、あの日のこと、覚えている」
と、私は母の隣で天井見ながら、相槌ちました。
おぼろげながらの私の記憶です。6歳のころでした。
「ただいま」
と、言う母の元気な声と共に、玄関がガラッと開く音がしました。
母が帰った声を聞くと、私も姉も嬉しくて、いつも玄関に走りました。
私たち子どもは母の帰りが何より楽しみでした。
その時、奥からふみちゃんを抱いた成ちゃんが玄関に急いできました。
「ふみちゃんがだらんとして、何も食べはらへんし、どこかおかしいんです」
と説明しながら、母にふみちゃんを渡しました。
抱きとったふみちゃんの異常を見た母は、診察室に走りながら、茂子さんに昼間の様子をあれこれ聞いているのが聞こえました。
「その時、なぜわてに言わなかったの」
母の大きな声だけが、家中に響き渡り、看護婦さんたちが走り回る音がしていました。
どのくらい過ぎたかわかりませんでしたが、
「ふみちゃん」「ふみちゃん」
と言う、張り裂けるよう母の呼び声がしました。
ふみちゃんは肺炎にかかっていて、すでに手遅れだったたのです。
その夜、母の一番大事な、一番可愛いふみちゃんは、母の懐で手を尽くす暇もなく、息を引き取りました。
母は、周りの戸や畳をたたいて泣き叫んでいました。誰も母を慰めることは出来ませでした。
お葬式の後、毎日、朝から晩まで、母は芙美ちゃんのお墓にいました。
「わても、ふみちゃんと一緒に行く、こんなお墓にふみちゃんを一人にしない」
「ふみちゃん許して、あほなわてを許して、あほなお母ちゃんを許して」
「ふみちゃん、許して、ふみちゃん許して」
と言いながら、泣き崩れ、お墓に覆いかぶさって、お墓の土をかきむしって、泥だらけになってました。
大阪から祖父や祖母や、母の兄妹も駆けつけました。
しかし誰が何としても、母はお墓から離れませんでした。
お墓では、誰かがいつも見張りについていました。
いつ頃からか、母は、何もせず毎日寝ていました。
「医者やめる」「医者はいやや」「医者は絶対やめる」
とつぶやきながら、すすり泣き、起き上がれませんでした。
誰とも口をききませんでした。ご飯もほとんど食べませんでした。
家中が静まり返り、家の中が奈落の底に沈んでしまったみたいでした。
そんなある日突然、診察室のほう方から大声で叫ぶ女性の声が、静かな家の中に響き渡りました。まもなく
「先生何処や。桜子先生はどこ。桜子先生何したはるの、桜子先生」
と、野良着を着たおばさんが大声で怒鳴りながら、母を探して奥にドタバタと入ってきました。
そのおばさんは、引き止めようとする看護婦さんを振り切って、とうとう母の寝室で母を見つけて、飛び込んできました。
「先生 助けて、桜子先生、助けて」
そのおばさんは、泣き叫びながら寝ている母を無茶苦茶にゆすり、叩き、引っ張って母に訴えました。
母は何をされても、ただじっと上を向いて、人形のように寝ていました。
そんな母に、
「桜子先生、うちの一郎が死んでしまうんや、助けて、一郎が死ぬ、一生のお願いや。一郎を助けて 頼むから助けて、一郎を助けて」
と言いながら、おばさんは母にしがみつて、泣き崩れました。
その時突然、母はそのおばさんを突き飛ばして、ぱっと起き上がり、そのまま診察室に行ってしまいました。
その時から母は、また診察を始めましたが、いつも涙を拭いていました。
一郎さんは、
「櫻子先生元気か」
と言って、時々訪ねてくると言って母は笑っていました。
母は横に寝ている私に、ゆっくり言いました。
「山田はんが『一郎が死ぬ』と叫んだとき、わては、はっと我にかえった。何がなんでも『子供は死なしたらあかん』と思って飛び起きた」
「ふみちゃんを失ったとき、わては医者を辞めるつもりだったけど、とうとう辞めさしてもらえなかった」
80歳過ぎても、母の中にはまだ2歳の愛らしいふみちゃんが生きていました。