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正さんの子育て 8 父親と母親

ある日、海で遊んでいるはずの子供が、見えなくなりました。
あれは能登半島の東側の海で遊んでいた時です。
海岸が広く景色がきれいで、みんな大好きな海でした。
わが家は、いつも地図で場所を決めていましたから、私はどの場所も地名は覚えていません。
さすがに能登の海はプライベートビーチの必要はありませんでした。
どこでもプライベートビーチみたいでした。
息子が中学生のころのことです。下の娘は5.6歳でした。
毎日岩場に行って、魚取りしたりもぐったり、飽きない日々でした。
ある時息子が、わが家のボムボートで釣りに行きたいと言いました。もちろん正さんはオーケーと言いましたが、末っ子の娘も一緒に行きたいと言い張りました。
娘は息子にぶら下がって、連れて行ってとせがみました。
息子は、本当は一人で行きたかったようすでしたが、仕方なく妹を連れていくことにしました。娘は舞い上がって喜び、意気揚々とボートに乗り込み、二人は沖のほうへ漕ぎ出していきました。
ところがお昼前になっても二人は帰ってきませんでした。
穏やかな見晴らしもよい海でしたから、海岸から息子のボートがよく見えていました。しかしいつの間にか見えなくなっていたのです。
見えるはずでした。
しかし、あちこちの海岸から、どんなに探しても、二人が乗ったゴムボートは見つかりません。正さんはさすがに何も言わず、焦ってるのがわかりました。
その内、正さんは何処かで手漕ぎボートを借りてきました。それに私と上の娘を載せて沖に漕ぎ出しました。左のほうは大きな岩があり外海に面していましたから、強い波が岩にぶつかっていて、近寄れませんでした。
それを見た私は、息子のゴムボートでは、この海には絶対に来れないと思いましたが、正さんは大きな波が打ちつづける岩を、遠くから大きく回ってどんどん行きました。
なんと荒い波が荒れ狂って打ち続けている岩のてっぺんで、息子と小さい娘が嬉しそうに手を振っていたのです。とても近寄れる場所ではありませんでした。
正さんは乗って来たボートを引き返し、岩陰に止めて固定しました。そこに私だけ残し、上の娘を連れ,二人で沖の方へ泳いでいきました。
二人がどこに泳いで行ったのか、岩の陰で何も見えません。
私は大きな岩に囲まれたボートの中で、じっと待っているほかありませんでした。
何時間も過ぎたような気がしました。もう我慢が出来なく、どうにかしたいと考え始めたとき、とこかで子供の声のようなものが聞こえました。
よく見ると、上の娘を先頭に一列になって、みんなが私のボートに向かって泳いで来るのがみえました。正さんも息子も娘も肩や頭に釣り道具など載せて、泳いでくるのです。
息子は壊れたボートを担いで泳いでいました。末っ子娘は必死な顔して正さんの前を泳いでいます。
あの時の光景、嬉しさは生涯忘れられません。
正さんと上の娘は、波が激しくて息子のいる岩に近寄れないので、遠回りして、沖の方から波の少ない岩に泳ぎつき、そこに息子たちを岩からおろして、また遠回りして、私の待つボートに泳いで戻って来たとのことです。
毎日,海で泳ぎまわって遊んでいる子供達だったからこそだと、しみじみ思いました。
末娘も自分にすっかり自信を付けたようでした。
その日上の娘が、
「お父さんとお兄ちゃん、あの岩に座って、何か真剣に話し合っているよ」と、こっそりと私に耳打ちしました。
正さんは、息子にこの事件のいきさつを話させ、自己分析をさせたのだと思いました。
でも私は、息子はが強い波に乗ってしまい、ボートを岩にぶっつけて壊したにもかかわらず、小さな妹を岩にあげ、釣具や持っていたものすべてと、壊れたボートまで岩に引き上げ助けを待ち、結局全てをもって帰ってきたことに感心するばかりでした。
この時、父親の考えは母親と全く違うのだとおもいました。
そのあとはまた楽しい海の生活でした。



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