捉え方は自由。だったら、心がラクになる方がいいよね
こんにちは。
3連休、2日目。
ぼ~~~っと緩みまくっている
みずようかん。です(^^)/
さてさて、今日は息子の話。
わたしにはいまだに
(聞き)慣れない言葉があります
それが
「コレ、まずいねん」(息子・談)
この言葉を聞くたびに
残念な気持ちになります
残念というか‥
悲しいというか、傷ついたというか
落ち込みます
なんでこんな気持ちになるか‥
そこを深堀ってみたら
苦手な料理を一生懸命つくったのに
私の努力を否定された気持ちになるから
だと判明しました(笑)
ときには、もう作るもんかー!と思って
レトルト三昧の時期も!
(50代・母の反抗期)
と思えば、なんとかおいしく作りたい!
って思う気持ちが諦められず
ZOOMで料理を習ったり
YouTubeで検索したり
(なんてけなげなんでしょー)
あの手この手で努力をしていただけに
まずいといわれると
悲しくなるんですよね‥
ひどい時は、スネた顔になり
「50過ぎてスネるなよ」と言われたことも(笑)
で!そんな気持ちを
あるSNSに投稿したら
予想外⁈のコメントが集まりました
・そんな時、わたしは
「このレシピの味、わが家の口には
合わなかったのね」って思ってますよ~
・自分の意見(気持ち)をお母さんに
言えるってことは、息子さんは安心して
お母さんと話ができるってことよね~
・味覚ってその人の感性だから
ただ、自分と違ってるっていう
だけだと思う などなど。
そしたら、私の中に新しい?解釈が
見つかったんです。それが
息子にとって
自分の正直な、素直な気持ちを
言える人がいてよかったこと
と
”まずい” は感じ方の「違い」であって
否定されているわけでは「ない」
ということ
これって、ぜったいに1人では
気づけなかったと思う
出来事に対しての捉え方って
100人いたら、100通りあるを実感!
息子と言い合いになる時って
お互いの主張を否定されるからこそ
オーバーヒートしてしまうけど
それは息子の考え(気持ち)なんだ
って思ったら、腹の立ち方が違って
ケンカにならなくて済んだことも
ありました
でも、家族だから、身近な存在だから
言いたいことを言い合って
ケンカになっちゃうときもある
そんな時もあっていいと思う。
だけど、冷静になって振り返ってみると
ただお互いの意見が違ってただけだった
「違い」を受け止めることって
大事だなって改めて気づかせてくれた
出来事に感謝。
そして、これからも息子には
「まずい」と言われるだろう
でも、今までのわたしとは
違う受け止め方ができるはず!
(しらんけど・笑)