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レコード盤と会話する

昭和、平成、令和と音楽鑑賞のスタイルは激変しました。
今は、無限と思えるほどの潤沢な曲がノンストップ、どこにいても音楽コンテンツが息つく暇もなく溢れています。

通勤で愛用するノイズキャンセリングイヤフォンも、ある意味罪作りで、あらゆる場所で音楽を楽しめるようになってしまいました。
正直、これでいいのか?と思ってしまいます。
デジカメも新型が出ると、昔のフィルムカメラの延長で、やれレンズや画質が!とスペックに興奮するも、どこか醒めている自分がいるのも確かです。
今までは、世の中の流れについていく、ついていくのがカッコいい、ついていけないのは、老いだ衰えだ!と悪者扱いだったんですが、最近、動かない自分に悪態をつくより、仕方ないと諦める方がずっとマシだと思うようになりました。

話がそれましたが、レコードって、そんな自分に合ってるなと改めて思います。
高校の頃からオーディオに興味があり、学校帰りにマニアなオーディオショップで、100万を超える同軸スピーカーでコルトレーンを聴いて、「ほぇ〜!やっぱ無酸素銅のケーブルは違うんやね〜」と知ったかぶったレベルでしたが、いつかはオーディオに夢中になれると当てもなく思っていました。
それが、ハイレゾの高級オーディオ、量子化の極みではなく、せいぜい数万のレコードプレーヤーだけど、近所の中古レコード屋さんで見つけた中古レコードに針を落とした時の感動!グッと重みのあるサラヴォーンのアルバム。
アームもマニュアルで、片面30分もない不便さ、ぶちぶちとノイズがのる音楽。
それがなんとも心地よい。子供の時と似てるけど少し違う感動に、じんわりきてる。

人はこうして歳をとっていくんですね(笑)

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