交通事故から1年3ヶ月【退職を伝える】
退職を伝える日
今の病院で、勤務して、17年
定年まで退職するつもりは全くなかった。
今まで『退職』を考えたのは、
下の子が小さい時。
あの時は本気で仕事と育児の両立は、
無理かも、って思った。
すごく大変だったけど、
ミニマリストに出会えて乗り越えてきた。
子どもたちも成長し、
『働ける、これからだ。』
と思っていた矢先、
去年、交通事故にあった。
そこから、
私の人生の歯車が狂い始めた。
定年まで働くつもりでいたのに•••。
看護師を
辞めたくないのに•••。
働きたいのに•••。
働けない•••。
悔しい•••。
私の仕事、
私の居場所を奪わないで。
そんな思いで
必死に軌道修正しようと立ち向かってきた。
この1年3ヶ月•••。
身体はもう、元には戻らない。
後遺症の今の私を、
私が受け止めないと。
と、やっと思えた。
『今は働けない。自分を大切にしよう。』
と、やっと思うことができた。
時間は、こんなにかかったけど。
私には受け止めるのに必要な時間だった。
今の自分の身体を受け止め、
内側の自分の思いを聞き
後遺症と共に人生を歩んでいかないと
と、やっと頭と心で、理解ができた。
長かったなぁ〜。
『退職します。』
やっとこの日が来た。
産業医と面談
今回、4回目の休職をして、
今は働けないと理解できた頃。
休職して1ヶ月と2週間•••、
産業医と面談をした。
休職して身体も落ち着きを取り戻し、
尋常じゃないだるさも抜け出せた。
涙も止まった。
以上の状況を伝えた。
家族とも話し合って考えた、
私の結論『退職』の意向を伝えた。
いつかまた、
(早くて、
春頃にまた仕事ができたらいいな〜。)
パートで週2.3回の4時間くらい
リハビリ的な感じの復帰を
考えていることを伝えた。
上司に伝える
面談後、上司にも思いを伝えた。
『いつかまた働ける時がきたら、
その時は、また働きたい。』
と伝えた。
『休職を長く続けるより
一度退職し仕事から離れ、
休息できる環境を整えた方がいい。
また、働きたい。
働けるってなったら
その時、連絡して。待っている。』
と、言って頂いた。
戻れる場所がある。
また、
看護師として、
働けるときが来るかもしれない。
まだ見ることができない
未来の話ではあるが
私の心がすごく安心できているのが
わかった。
交通事故にあい、
たくさんの経験をして、
知らなくてもいいことを
この1年3ヶ月で経験した。
1つ大切なことを実体験を通して学んだ。
それは、
人と人のつながりが大切
だということ。
これだけ、
インターネットが普及し
SNSが盛んな時代に
なったが、
人対人のつながりがどれだけ大切か。
交通事故にあってから、
コミュニケーションを通して
見えたこと、見えてしまったこと
人の内面を見る場面が多々あった。
良い人•悪い人
良い影響を与えてくれる人•悪い影響を与えた人
そんな簡単、簡潔に、伝えられる言葉はなく
言語としては表現しきれない。
けど、
見えたこと、見えてしまったことについて
数々の場面からわかったことがある。
それは•••、
私が、どん底にいる時に
声をかけてくれた人、
支えてくれた人、
見守ってくれた人、
応援してくれた人、
背中を押してくれた人、
たくさんの場面から
人の真の部分が私には見えた。
見る事ができた。
見たくなかったこともたくさんあった。
傷つきもした。
涙が止まらなくつらい日を過ごしたことも
あった。
言葉は、
時には、暴力にもなるくらいすごい
凄まじい力があり
私の心に突き刺さったことが、たくさんあった。
今回、身をもって経験できた。
つらかった•••。
つらかったなぁ•••。
つらい•••。
ではなく、
『つらかった。』
と、今は思えている。
文字で打つのは簡単。
『つらかった。』と言うことも簡単。
そんな簡単な言葉や文字で
言い表せるものではなかった。
心がえぐられるくらいの思いを何度も経験した。
でも、
経験したからこそ、
わかったこと
見えたことが、
たくさんあった。
私の大事にしている部分。
人として
の部分について、
今回、見えたことで、
わかったこの経験は、
私には価値のあることだった。
見えなければわからないままだった。
今後の人生、
もし私が声をかける立場になることが
あるとするならば•••、
その人に寄り添って考え、
思いを言葉にして伝えたい。
そう思った。
これから生きていく上で必要になる、
重要な部分に今回気づくことができたのは、
私にとって大きな経験となった。
『退職します。』
この言葉を口に出すまで、
この思いを決断するまで
この思いを伝えるまで、
ここに来るまで、
たくさんの試練を乗り越え
いまにつながっている。