あの頃のワタシへ【THEALFEE夏祭り】
THEALFEE 50周年
ワタシは幼い頃から一回り歳の離れた従姉の影響で
テレビに映るスター、芸能人、アイドルを応援するという
そういう目線がきっと潜在意識に組み込まれつつ
育った気がする(笑)
そんなワタシが魂持っていかれたのが
当時まだ「THE」がついていないアルフィーでした。
小学5年生の冬。
それもまた高見沢氏の横顔にノックアウトされるという
小学生らしい入り口。
「こんな綺麗な顔の人がいるなんて!」
と言いつつももちろん耳に残る楽曲あってこそ。
そうでないとテレビでも見ない。
この歌、なんか好き♡
からの始まりである日突然ノックアウトするという
目の前に王子様が現れたかの如く
今思えばウケるけど
それがなければワタシの青春はなかったと思えば
侮れない小学生のインスピレーションでもありました。
当然そこから憑りつかれたかのように
ファンという名の行動にハマり
当時はまだレコードだった時代に
お小遣いを工面してレコードを買いあさり
兄貴のステレオ(これも懐かしい響き)で
テープに録音してラジカセで聴きまくり
没頭しまくり
ファンレターを書き
ベストテンにリクエスト葉書を出しまくり
昭和ならではのファン路線を全開に楽しんでいた
小学生でありました。
それからは想像通りの推し活です。
そのワタシを虜にしたTHEALFEEが今年デビュー50周年とのこと。
50周年?!
確か出会いはデビューして10周年の時期だった彼ら。
当時は29歳だったメンバーも
70歳突入。
時は流れたもので。
もちろん当時11歳だったワタシも
50をしっかり越えて
気力体力、撃沈です。ハイ。
とは言えども
半世紀も活動しているってヤバいよね?って
正直思うところ。
でも、それだけ続けられるのには
やっぱりそれなりの意味はあるし
必要とされている証。
目まぐるしく生活が移り変わっているワタシの人生で
50年続けられたことはあるだろうか?
人間として生きていることだけしか思いつかない( ̄▽ ̄;)
となれば本当にこの50周年って価値あり意味あり。
お礼も兼ねてこの夏行われた
横浜でのライブに出向いた。
片手間での追っかけになってしまったけど
ブランクを境におとなしくなってしまったワタシ。
人生の義務が増えてしまったからといったらそれまでだけど
なかなかライブに行ける環境ではなかったことに便乗して
情熱までどこかに置いてきてしまった。
でもここ数年。
子供たちも一人ずつ手が離れ
ある程度の余裕も出てきたタイミングで
昔を懐かしむという設定でちょこちょこ足を運んでいた。
ライブには。
夢中で追いかけている頃は
チケットが入手出来る限りという条件で
年間10本は出向いていたし
遠征もあり、ヤバいくらいでしたが
今、ライブに行くとなったら回数は少なくても
変わらなかったのが
チケットが取れない問題。
これもまた驚きであり。
この変わらない人気っぷりについていけない感もあり
ますますおとなしめになってしまって・・・
そしてもうひとつ。
幼少期にガチガチの追っかけしていた従姉の洗脳で
無理矢理聞かされたと認識していた
「郷ひろみ」に方向転換していたために
どうしても片手間になってしまっていたのは否めない。
・・・スマンのぅ。という思い。
でもワタシの青春は確かにTHEALFEEであって
それはワタシを知ってる人は誰もが認知していて
それだけ重要な存在だったのも確かなこと。
50年活動を継続している彼らに対して
ファンでいることはワタシも継続してたつもりだけど
行動には起こせず別の活動にハマっていたのも言うまでもない。
きっと過去のあの熱い思いを少しでも思い出したくて
数年前からのライブは出向いていたのかも知れない。
夏のライブに行くことに決めたのは
かつては夏と言えばTHEALFEEの野外イベントが
ワタシのイベントだった。
長男を身ごもっている身体で出向いたことも
その長男を連れて行ったこともあった。
それがいつしか生活優先となり
気づいたら夏のイベントではなくなっていた。
そして今年50周年の記念の年だからと
追っかけしていた友人Tと行くことに。
実は友人が去年末から癌の闘病にて
一緒に行くはずだった暮れのライブも断念。
その治療が終わり、社会復帰した経過から
青春追っかけコンビを復活させてみようと
この夏のライブのチケットを申し込んだ。
あれこれ不安はあるけれど
その不安を思う時間があるならば
楽しいことに時間を使おうという試み。
あんなに夢中で駆けずりまわった青春の追っかけをした
お互いがこの歳になってまた再結成出来るという
そんな喜びが今の寂れたワタシには
必要だったし
きっと治療後の友人にも必要だったと。
半世紀も生きていれば
残りの時間を意識する生き方に変換されるのは
言うまでもなく
ましてや友人は闘病も経験した。
少なからず時間は有限ということを
まざまざと感じているからこその今回の試み。
でも誤算がひとつ。
翌日は郷ひろみのライブを予定していたこと( ̄▽ ̄;)
連チャンでライブなんて
まさにイベントを自ら設定してしまってるあたりが
我ながらあっぱれ。
思い出の地。横浜でのライブ。
横浜は何かとライブでお世話になった土地であった。
チケットないのにダフ屋でもいいから(懐かしい響き)
ライブに行こうと学校サボってまで行った街。
今回もその横浜でのライブということで
青春アゲインにはうってつけ。
学生だった当時は当然電車で向かっていた街も
今となれば車で行けるという
車好きな友人のおかげに可能になった。
もちろんワタシも運転は好きだけど、さすがに横浜は怖い(笑)
何故か怖い(笑)
ということから快く本来なら身体を労わらなければダメな立場なのに
まんまと甘えるという・・・
でも
それが許される関係性というのも
あの青春という時期、まだ今ほど世界を知りえていない時に
ありのままで過ごした相手だからこその賜物かも知れない。
当日、ワタシの故郷からわざわざ遠回りして友人が迎えに来て
横浜までのドライブ。
そしてさすが友人の知識と土地勘のおかげに
迷うことなくすんなり到着した港町、横浜。→この表現は昭和人。
すっかり駅前も記憶とは違う風景になって
浜風が熱風で
既にへこたれそうになったとはいえ
久々にワクワク感を50過ぎのオバさん二人で満喫。
若い頃とは違って食事だって思い切った店を選び
全くご縁がないメキシカンをフルコースで食べ
本来はライブなのに更に色を付けて楽しめるその余裕は
年齢を重ねた証。
そして最近まれにないくらいに満腹になって
歩く気力さえ失うくらいに胃袋を膨らませ
ライブ会場に歩いて行ける距離を電車で向かう(笑)
Kアリーナ。
初めて足を運ぶ会場。
まさかの神席であの頃のワタシに。
会場は熱気に包まれていた。
当時の情熱のままだったらその熱気に対抗できるくらいだったけれど
何故かアウェイ感満載。
たらふく食べたメキシカンがいけなかったのか( ̄▽ ̄;)
とにかく熱風と熱気に負けて
入場すること最優先。
足を踏み入れたら・・・
まさかの神席でした。
アリーナ席だったのは分かってはいたものの
前を向いたらセンターステージ目の前。
お祭りだけあって演出も粋な計らい。
アウェイ感を感じているふたりが
こんな神席でいいものなのか・・・と思う反面
お互い目をキラキラさせていたのは言うまでもない(笑)
でもそこは冷静に始まるまでの間は
淡々と静かにお客様のように時を過ごした。
あんなに満腹だったのに友人は
「アイス食べる?」(笑)
・・・つい最近まで治療していた人の言うセリフか??と
丁寧に断ったけど。。。
友人もKアリーナ価格のアイスが
それほど食べたいものではないと判断したのか
アイスコーヒーでおさめた。
刻々と時は過ぎ
いよいよ始まるライブ。
夏のお祭りライブ、イベントライブの参戦は
30年ぶり。
どんだけブランクあったの?とあらためて感じるとともに
それでもその場に溶け込めるようにと思いを巡らせた。
神席からほど近いセンターステージから現れたお三方。
震えた。
魂、持ってかれた。
思わず叫んだ!!
一気に10代の自分になってる。
友人も!!
忘れていた情熱が
目の前に現れたTHEALFEEの姿を見た途端に
蘇る・・・。
まだあったんだ。
悲鳴に似た歓声を発する感情。
自然に前のめりになる身体の反応。
勝手に上がってしまう両腕。
何よりもそんな自分に
同じように感じてる友人との空間。
それに出逢えたことが
一番驚いた。
あの頃のワタシが帰ってきた。
嬉しい!!
でも、あの登場の瞬間は
神が降臨してきたかと思った(笑)
ありがとう。
懐かしいナンバーに更にあの頃を重ねて
素敵な時間はあっという間に過ぎ去った。
銀テープもつかみ取り
がむしゃらオバサンの時を十分に楽しんだ。
50年続けられたことにメンバーはお礼を申していたけど
いやいや
お礼を言うのはこちらのほうで
THEALFEEがいたから今がある。
変わらない友情もある。
ありがとう。
そんなことを思いながら
軽くなった胃袋のおかげで
横浜駅まで夜空を見上げながら歩いて向かった。
素敵なひとときだった。
何よりも無邪気に感情を出せたことが
一番の収穫だったかも知れない。
ワタシも未だ自分探しの最中。
友人も闘病を経て今を生きている。
それぞれ抱えているものは違えど
何か大切なものを見つけられたような
そんな時間、空間、出来事であった。
帰りは首都高走りましょう!
なんて無謀なことを言うのか?と思ったけれど
友人もご機嫌でベイブリッジ経由で
ドライブを演出してくれた。
いい歳こいてベイブリッチ初体験でした。ハイ。
もちろんTHEALFEEの50周年をお祝いするのが
一番の目的だったけれど
便乗して得られたものは大きかった。
やはり
行動してみないと分からない。
情熱が存在する限り
ライブにはこれからも出向こうと決意したまで。
・・・同日、郷ひろみも横浜でライブしてました(笑)
翌日、甲府でのライブは
疲れが残る中、頑張って行きました(笑)
もちろんワタシが運転して。
それからというもの
しばらく燃え尽き症候群になって体調を崩していたという
悲しい現実。
魂、持っていかれて忘れてきたのかも知れません。
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