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完結。光る君へ。

半世紀以上生きていて
初めて一年間見た大河ドラマ。
「光る君へ」

我が家はテレビはあるものの
居間に一台しか設置していない。
テレビ本体とアンテナはしっかり部屋数あっても
いつの日かテレビを見る習慣が消えていた。

まさに時代の象徴というか
息子たちもそれぞれ住んでいる家には
テレビを設置していない。

そんな中
しっかり初回から先日の最終回まで見終えた自分。
それほどまで惹かれたのは何故だろう。

全く関係ないのだが
ワタシのルックスは娘に言わせると
「平安時代ならモテたかも?!」
と。(-_-;)
その平安時代の紫式部と藤原道長の生き様を描いた内容。

歴史に全く興味を持っていないのと
苦手意識満載だというのも自負しながら
みるみる引き込まれていったのは
きっとワタシが書いて文字で表現することが
幼いころから好きだというのも加味していると思える。

季節の流れとともに
気づいたら一年間見続けた中で
人の心というものの葛藤と現実の狭間で
世の中は二度と見ることのない瞬間の景色を映りだしながら
見えない力で見える世界を作っていることに
気づかされる。

こうありたい。
こうしたい。
こうなりたい。
数々の欲望のぶつかり合いを
人が持つ感情という心の動きで操作しながら
現実が変わっていくということを
まざまざと見せつけられたとさえ思う。

見る人それぞれの視点がそれぞれあるように
ピックアップしているものは
やはり人それぞれだけれど
思いを馳せた心のさまを残すことの意味。
想像できない瞬間瞬間を超えて
今に残るのはどうしてなのかという
時間の流れで失ってはいけないものへの問いや
引き継がれてきたものへの意味なぞ
深く感じてしまう作品だったように思える。

紫式部と道長が今でいう不倫関係という描写。
今の世の中
不倫というゲスイとされているからこそ
オイオイ(-_-;)という心理で
引き込まれてしまったのかどうかはさておき
人の心は現実の地位だの状況だの
咎めるものを超えてまでも生々しく生きているものなんだなぁと
感じると同時に
自分に正直に生きることへの投げかけでもあるように思えた。

不倫を肯定するという意味ではなく
好きなものは好きという許しを
自分が一番に許可することが大切なんだと。

だからといって
一夫多妻制ではない今では
その思いすら許されないのであろうが・・・。

つまりは
自分の感情に正直に生きる。
それが形として報われなくても
貫くことで違う何かを得ることが出来るという
そんなことを感じさせられた。

そしてそこに
自分の生きる意味を見出すことにもつながると。

紫式部は道長とのことで葛藤しながらも
その想いをフィクションで書き綴ったことで
世の中の人々にファンタジーを与え
評価を得ることで
認められない形の愛を昇華出来たわけだし。
道長も
最後に紫式部との安らかな時間を得て
自分の生涯をしっかり認め、昇華出来たんだと。

結果
愛するって素晴らしい~♪

となれば原点にたどり着く。
ここにあったのは「愛」という。

叶わぬ想いという見え方が
実は叶っていたとそれぞれが認識したときに
きっと道長が死んだのかもなぁと。

すべては結果オーライってこれじゃん!!

よく言われている
一番好きな人とは結ばれない・・・。
なんて言葉を思い出させるようなドラマでしたが
苦しい心情を描きながらも
実は満ち溢れていたということ。
それがドラマを最終回まで見届けて分かったこと。

現実は残酷のようだけど
実は感情を刺客のように幾度も投下させながら
「あなたにとって大切なものは何ですか?」
と何度も立ち戻るよう
目に見えるものは台本みたいに動くもの。
感情に流されずに
そこで何を感じたか。
そこで感じた気持ちに寄り添えるか。
そうして人は生きていく中で
自分を奮い立たせることが出来るか。

だから
自分を生きることだと。

とグルグルと頭の中に浮かんできた。

光る君へのロスが
全国にいらっしゃるとのことで
ワタシも同じ(笑)
でも
久々に感情をトレーニングというか
感情移入しながら楽しめた。

それにしても
ロバートの秋山さんにはドはまりでした。
黒光る君なんだってね。
・・・爆笑。

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