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【掌編小説】幼なじみ

1.
彼とは幼なじみと言っていいのだろうか。私にとってはついこの間のこと。
でも彼にとってはまだ始まったばかりの幼い頃の思い出。
見た目が全く年を取らないのだ。
流れる時間軸が全く違う。どうも彼はエルフのようだ。
彼にとってはこれまで出会った人全てが幼なじみと呼べるのではないかと思った。
けれどお話で見るような耳の形ではなく普通の耳の形をしている。

そばにいるとその分だけその若さがこちらにも作用するのかありがたい事に私は年齢より若く見られるようになった。
でも元々は生身の人間なので内部からの衰えが見えつつある。
彼と比べると私の体力は彼の体力とはどんどん引き離され消えかかってきたロウソクの灯火のような命になってきているのを実感する。

2.
彼は大人になるにつれて日毎に元気が増して行った。
幼い頃は私が守ってあげなければと思わせるほど弱々しく見えた時があった。
けれど女に守られるなんて自分自身が許さないと言うように側で見ていた私に彼は「何もしないでほしい。」と宣言した。
たとえ小さく弱々しくても、自分がまだ成長の途上である事をエルフ自身の内部から湧き出る本能で感じ取っていたのだろう。
大きな上級生にからかわれた彼は沢山の相手をじろっと一睨みして特に急ぐことも騒ぐこともなく黙って悠々と歩いて行った。

3.
彼は一体どこから降って湧いて来たのだろうか。
気がついたら目の前にいて、それから数年したらある日突然クラスメイトになっていたのだった。

授業が終わると近所に住む子どもたちは一緒に帰らないといけない決まりがあった。
朝の通学は学年が違う子どもたちを学校から遠い順で誘い合わせながら登校するが、帰りは時間がまちまちなのでほぼ同じ学年同じクラスの子と帰る。

町ごとに子ども会があり彼は北の方の北町の子で私は町の中心に近い中町に住んでいた。彼は私とは反対の方角だからサッと帰っていくのを遠くに見るだけだった。幼い頃に遊んだ記憶はない。
けれど大学で見かけた時、私は間違いなく彼だと確信した。


4.
幼い頃を知っていると言うのは不思議なもので、たとえ親しく話したり遊んだりしていなくてもその姿が瞼の奥にあり、大人になった現在の姿にその人の子どもの頃の姿が重なって見える。
けれど彼の場合は年齢の分だけ月日が流れているはずなのに身体は成長しても顔の部分の変化があまり見られなかった。
幼い頃の顔と今の顔が二重になって見えるのではなく初めに見た時の顔そのままだった。
それだけでなく再会の仕方も奇妙だった。

ある日、授業の予定を確認しようと掲示板の前に立った時、急に声をかけられた。
「また同じクラスになったね。」
「またって、2回目だよ。それも何年も前だよ。」と笑った。
まるで昨日まで毎日顔を合わせていたかのように。

小学校を卒業してから今に至るまでの6年間がなかったかのようにいきなり再び目の前に登場してきた。

小学校最後の1年間を同じクラスで学んだと言うこと以外は2人だけの思い出など1つもないのに幼なじみと言えるのだろうか。

けれど彼は何もかもお互い知り尽くしてる幼なじみのように話しかけてくる。
実際、小学生の頃の恥ずかしい姿を見られていたのは確かだ。
あの頃はあまり人にどう見られるかなんて気にしなかった。運動会で応援団になりたい人と言われて立候補した。
応援団はクラスのみんなとは離れて運動会の間中、鉢巻を頭に巻いてトラック毎に立って扇子を持って応援をした。
女子はとても少なかった。そんな中、何とかやり遂げた。
彼も応援団になっていたがトラックの丁度真反対側だったし、太陽が照りつける暑い中で自分の演技をするので精一杯で何も見えなかった。
子どもの頃の自分を今思い出すと何であんな事していたんだろうと思うような事ばかりしていた気がする。

5.
彼と過ごした時間はとても短いように感じるしとても長いようにも感じる。
これは他の人には感じない時間の感じ方だ。
彼と話していると時間が浮いているように感じる。
時間が過ぎていかない。これはエルフの時間を感じ取っているのかも知れない。

彼と一緒にいると一生年を取らず一生死なない気持ちになる。

けれど1人になると途端に人間の年齢の自分に気がつく。毎日疲れが取れなくなってきている。

彼がある日私に一生友達でいたいと言った。
私にはショックだった。
一生友達以上にはなれないのだと。
けれどそのおかげか友達として彼のいろんな姿を見てきた。
人からは破天荒に見える彼の行動はエルフと思えば特に何と言うこともない。
彼の発言もそういえば普通の人とは違うと言うことが分かった。
エルフというものがこの世に実在しない存在とされていようと、周りに誰一人として彼以外に同じ種族を見た事がないとしても、私だけが共鳴するかのように実体験として感じている。
それは宇宙人ではないかという人がいるかも知れない。
今、世の中には宇宙人が紛れ込んで生きているとトンデモな動画が作られていたりする。
アメリカでは実在する話だと。
私はもっと違う存在だと思う。元々日本には妖怪や神々が存在する。
むしろそれらが実態を持った人間の姿をしているというものに近いかも知れない。
仙人と言われる人は長い年月生きてる。
カタカナでエルフと書いたが妖精ではない。そうだ仙人の末裔か。
何にしろ今の世の中は人と違うという事はすなわち身の危険を伴う。
天才という種類の人も最近では昔よりもかなり多くの人が生まれて来ているが、並々ならぬ苦労を背負って生きている。
危険を避けるために凡人のふりをして生きれるとしたら忍者に近いのではないかと思ったりする。
私は何の才能もなく全くの凡人だから何の心配もなく自然体で普通に生きていられる。
逆に王様王女様や日本の天皇のような世界で生きろと言われたらとてもじゃないが生きていけない。
有名人になりたくてたまらない人とは、全く逆の対極で生きてる。
こんなに人前に出たくないのに、なぜこの世に生まれて来たのだろうとさえ思う。
だからと言って生きたくないわけではない。そう自然の中で花の蜜を集めて誰も知らない野の中でひっそりと生きてる透明な妖精になりたい。
あ、私こそ妖精=エルフなのか。
だから彼と命の共鳴をするのかも知れない。

6.
ある日私は気がついた、ずっと彼のそばにいれば人間の私の寿命も彼と同じように一緒にぐんぐん伸びて、彼が望んだように一生彼の友達でいられる。
幼なじみはこの世で私1人だけになる。
みんな100歳を超えて生きれる人はいない。
今でもツルッツルのお肌はその証拠だ。

私は彼の真心の愛を信じた。彼の側にいる事にした。
今私は、彼が毎日飛び回るように仕事に励む傍らで永遠の命の粉を振りかけられて生きている。

「一生友達でいたい。」と言うのは長命のエルフにとって一種のプロポーズだったのかも知れない。

(2760文字)


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