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光る君へ 第42回 | 破壊神と兄弟愛

わたしが好きな「バガヴァット・ギーター」は、インド古典のひとつでヒンドゥー教の聖典。その教えでは、世界は3つの神「ブラフマー:創造の神」「ヴィシュヌ:維持の神」「シヴァ:破壊の神」のバランスで保たれています。

一見怖い「破壊の神」も、世の中の苦しみからの解放を目指す、人々を幸せへ導く神なのです。

今回の光る君へでは、至る場面で「破壊の神」が力を発揮したように見えました。


「あなたがあの子を殺したのよ!顕信を返せ!」
と叫び、気を失う明子様。我が子の突然の出家に失意のどん底の明子様のもとへ、明子様の兄・俊賢殿が見舞いに訪れました。明子様はか細い声でこう言いました。
「比叡山は寒いでしょう。身一つで行ったゆえ凍えてはおらぬであろうか。兄上、あたたかい衣を、たくさん、たくさん届けてやってくださいませ。」

このときの明子様は、愛する我が子の身を案じた純粋な親心を口にしました。長年、子の出世に執着し続けた明子様を見てきた俊賢殿も、目に涙を浮かべ、母としての悲痛な想いに共感したご様子でした。

明子様の息子たちは、まだ幼い頃から、父・道長様が御前にいるにもかかわらず全員が母を注視していて、母と子は緊張感のある関係でした。母の顔色を伺いながら厳しく育てられたことが分かります。それだけ明子様は出世のためにと熱心に教育してきたわけで、その土御門殿への並々ならぬ対抗意識からくる呪縛がやっと、顕信の出家という破壊の神によって解き放たれたようです。

明子様と俊賢殿は親しく話す仲ではありましたが、これまで何かと明子様は俊賢殿に辛辣な物言いをしてきた場面が多くあり、この兄妹関係は表面的なところで嚙み合わない部分がありました。しかしこの一件で、明子様の欲望も執着心も解き放たれたことにより、兄が妹の心の支えとなるカタチで修復していってほしいものです。


またその顕信の出家について皇太后彰子様が知る場面にて。弟の一人の騒動を、人伝えではなく直に弟たちからこのような報告を受けられるのは、前回の、姉のもとへ弟4人が集まった結束の会があってこそですね。腹違いの弟への驚きと悲しい結末を、こうして分かち合えるのもまた、姉と弟の絆を深めるものであります。


これらの兄弟愛のようにいかなかった兄弟が・・・。

顕信の出家、三条帝との力争い、入内した娘のことなど、心労も溜まって病に臥せってしまった道長様。そこに、道長様の身を案じて見舞いに来たわけではなく、怪文書の弁明をさせてくれと道綱殿が取り乱すシーン。

倫子様の目配せで百舌彦が体を張って道長殿を追い払います。その騒々しい外の様子を感じながら、静かに、天を仰いでいる道長様。道綱殿のこういう能天気な性格ってかわいくもありましたが、心身ともに疲れきって心細くあられる道長様には、己のことしか考えていない配慮に欠ける頼りない兄、と、今まで以上に映ったことでしょう。

その後、宇治の川辺で道長様とまひろと二人で。

「早めに終わってしまった方が楽だと言ったお前の言葉が、分かった」
「今は死ねぬと仰せでしたのに」
「誰のことも信じられぬ」

このような道長様の言葉からも、今や道綱殿は唯一の兄弟となってしまったのに、兄でさえも、心の距離を感じ、不信感を募らせてしまったことが伺えます。時を遡ると、道長様の次兄・道兼殿が疫病にかかった時(第18回)、道長様は見舞いに伺うも病が移るから寄るなと兄に突き離されました。しかし己の人生を悔いた言葉を吐く哀れな兄を見捨てることができず、道長様は飛んで抱きしめて、ひたすら肩をさすってあげてましたね。自分には、そういう存在はいないのだと思い知ることとなりました。

道綱殿だけではなく、他の公卿も、妻や多くの子ども達も、信じることができない、頼りにできないということでしょうが、それは道長様があまりに強くなりすぎて、誰も、道長様の人としての弱みに寄り添うことができなかったからでしょう。心の闇や弱さを打ち明ける、その勇気や素直さこそ、組織のリーダーには欠かせない要素なのかもしれません。政のトップとして、子を想う親心も、人としての情けも、全てねじ伏せて、やるべきことや国の安寧のための大きな選択をしてきましたから、「破壊の神」がドカンと一発、道長様に病と心の穴を与えたのでしょう。

まひろとゆっくり会話できたことで、道長様の心は癒され、
「ならばわたしも一緒に参ります」
「わたしも、もう終えてもいいと思っておりました。・・・この世にわたしの役目はもうありません」
「この川で二人流されてみません?」
「ならば道長様も生きてくださいませ。道長様が生きておられれば、わたしも生きられます」
などのまひろの言葉に、道長様は涙を流しました。

二代の帝に仕え、移ろいゆく世に左大臣として奮闘する中で、昔も今も変わらないのがまひろの存在です。いつ何時訪れても一人静かに物書きをするまひろ。道長様のことを真に慮り、見守ってくれているまひろ。道長様のことを愛している倫子様とまひろの違いは、微妙でもあり明確でもあります。「愛されたい、政から退いてわたしと一緒にいてほしい」という女の気持ちが強い倫子様、「そのままの道長様で、生きているだけで、わたしの力になります」という無償の愛のまひろ。

思えば、まひろと道長様はお互いの状況を知らないはずなのに、同じタイミングで物思いにふけったり、月を見たりなどのシーンも多くあり、出家しようとか死をちらつかせたり、シンパシーの連続でした。「心が通じ合う」演出、そんな相手が近くにいることの幸せは計り知れないものです。心が通じ合う揺るぎない相手がいるからこそ、その安心感に甘えて、思い切って二人は違う道を歩めてきたのだなと。たとえ結ばれなくても、その強い絆は、生涯だれも入る隙を与えないほどのものであると、今回もまひろと道長様は教えてくれました。(ブラボー♡脚本・大石静先生!)

長い間、道長様に忠実に仕えているからこそ分かる、「弱っている殿さまを救えるのはあの人だけだ」と、まひろのもとへ訪れる百舌彦。誰かを傷つけたとしても殿様のためなら!という愛に振り切った判断、グッジョブですね!


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