友達が少ない

子供の頃。
遊びに行かず家にいると母親に「あんたは友達がいなくてかわいそうね」と言われた。
小学校、中学校、高校、短大、社会人とそれぞれのフェーズでまったく友達がいなかった訳ではないけれど、母から見ると私はずっと「友達がいなくてかわいそう」らしい。

いつの頃から自分のコンプレックスは「友達がいないこと」になった。

休みの日に家にいると母親の視線が気になった。
でかける予定のなく家にいると母に「かわいそう」と思われることが嫌だった。

実家を出て、一人暮らしをするようになったとき。
休みの日予定がなく家にいても母の目もきにすることがなくなって気が楽になった。

けれど一人暮らしになってみると今度は自分が休みの日に予定もなく家にいる自分を「さみしい人間だ」と思うようになった。

思い返すと、友達や恋人との楽しい思い出がないわけではない。
現状、友達と呼べる人も数人いる。
でも私はずーっと「友達のいないかわいそうな自分」に囚われている。

私から誘いをかけなければ私はずっと予定がない。
まったく寂しくてつまらない人間だ。

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私を友達だと言ってくれる人達にあった時に「友達がね」と別の友達の話題をだされると「あ、、、私には友達がいなすぎて友達の話題がない。寂しい人間と、つまらない人間と、かわいそうな人間と、思われたらどうしよう」と怯み身構え卑屈になる。

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母と旅行に行った際。
「実家にいるとき友達がいなくてかわいそうといわれるのが嫌だった。
別にもうそう思われてもいいし、事実そうだから話せるし責めたい訳でもない」
と吐露した。

母は、「あぁ、お母さん、自分が友達すくないからそう言ったのかも」と言った。

自分のコンプレックスをまんま娘が引き継いでいるように感じた故の諸々の発言だったのだろうか。

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子供時代母に言われたこと。
友達がいないコンプレックス。
友達に話したら、親にそんなこと言われたことはない。友達なら私がいるではないか。と言われた。
そんなことを言ってくれる人がいることには感謝しかない。
ありがたい。

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特にオチもない話を鬱々と書いているように見えるけど。
ウエットな気持ちというよりは割とカラッとな気持ちでこれをかいている。
堕ちているというより、フラットと言った方がいいかな。

どんなにネガティブな思いを吐露したとて。
どんなに「そんなことないよ」と言ってもらったとて。
最終的に自分の責任は自分でもつしかないのだ。

「誰かがどうにかしてくれかもという期待はもたない。」
最近この言葉をSNS発信されているのを聞いてはっとした。

誰かにこのもやもや鬱々をどうにかしてほしいと思っていたのだ。
でも、そんなことは誰もしてくれないし、きっとできない。
他者で癒されることもあると同時に、自分でどうにかするしかない気持ちもあるのだ。

「誰かがどうにかしてくれかもという期待はもたない。」
を受けいれたとこから、また私は私とつきあっていく。

前向きでも、後ろ向きでもなく。
いまを心地よく苦しくないために。





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