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家族の借金は恐ろしい

少し余力が出てきたので、困ってる人を見て勝手に心を痛めるなど。

自分のではない借金をどうにかするのは、本当にきつい。
うちも昔々、カードローンの過払金を取り戻す親戚のために弁護士費用を立て替えたことがあった。今回だけよ、って条件もつけるし、その費用が後日戻ってきても、こちらはその親戚とは疎遠になるわけだけど、借金当事者は何かと頼ってくるわけ。そして我々が借金解決のために二度と財布を開かないことが、借金当事者からしたら「酷い」って話になり。

こういう感情の拗れって、金額とは関係ないし、親戚でも同僚でも知人でも同じことだろう。
尻拭いする側にとっては、自分に何の落ち度も無いのに、いきなり被害者になったようなものだ。
でも、尻拭いされる側から見たら「困ってる時の共助」は当然。

深刻なのは、借金苦の原因がギャンブル依存や買い物依存の場合だ。借金を何とかしてあげることで、依存症はそのまま維持される。救済のつもりが、いわゆる「イネイブラー」になってしまう。こうなると救済は依存症当事者が死ぬまで続く。依存症は専門家の治療が必要だし、お金がらみの依存症は、別居して財布をきっちり分けるしか対策が無いと思う。
冷たいようだけど、冷たいってなじるのは依存症患者だけだ。治療に必要なプロセスと割り切って、本人に何とかさせるしかない。自分自身の明日のために。