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ゆるやかにかわっていく 2025/01/16
少し朝早めに目が覚めて、友達のnoteを読み、そしたらわたしも少しだけ言葉をつむぎたくなって、今このnoteを書いている。
2025年は、年始から割と調子よくnoteを書いてきたのに、少し手が止まっていたのが気になっていて、だからnoteを書きたくなってよかったという気持ちと、書けなかった数日の意味を少しだけ中に浮かせておく。書けなかった数日どころか、もっともっと書けなかったり書かなかったりしている日の連続も存在するのだけど、なんだかその書けないとは違った気がしていたし、今も書いてみてそう感じるから。
昨日は'元'成人の日だった。最近はハッピーマンデー(なんか悲しいけど皮肉に感じる)ということで、成人の日はいつの頃からか1月の第2月曜ということになったから、1月15日は'元'成人の日。さらりと調べてみたら、2000年かららしい。
2000年といえば2000年問題の年でノストラダムスの大予言の次の年で、当時わたしは中学生で、今頭の中には鈴木亜美の「HAPPY NEW MILLENNIUM」が流れている(そしてなんか計算が合わない気がするのだが気にしないことにする)。
何が書きたいのかというと、一昨日のaikoのポストを見てから、思考の外でずっとこの曲がわたしを撫でているからで、今書いてみてまた気付いたのだが、昨日の夜寝る前に話したスタエフの話に出てくる「整理している感情や感覚」に、全く逆のところから触れていて、だからこの何とも言えない感覚を感じ(てい)るのだなとクリアに、でもぼんやり思ったからだった。
親友から「破水した」って連絡が来た時に母も赤ちゃんも頑張れ!と願って作った「瞳」と言う曲があるんやけど今日その親友が「成人式に行って来たよ」と家族の写真を送ってくれた。彼女も瞳もハタチになったんやな。凄く嬉しかった。また恋バナしようね!二十歳おめでとう♡
— aiko official🥔 (@aiko_dochibi) January 13, 2025
現在形と過去形の使い分けが難しい。いつもそう思うけど、今日は特にそう思う。わたしの中で、過去と過去より前の過去と今と今にあると思ってなかった時空間の縛りを超えた今みたいな感覚が同居していて、今それらを眺めたり少し寄って観察したりまた遠ざけたり、気付かないふりをして泳がせたり、なんとなく編まれていく意味とまどろみの中で対峙しているからだ。
ただ、"わかっていること"は、今起きていることが今のわたしにとって(というか全わたしにとって)めちゃくちゃ大切なことであるということ。きっと、また違うところへ行くのだろうな、とぼんやり─はっきりすぎて焦点を合わせるのを避けている感覚がありその感覚すら避けておきたいような、滲んだ視界をそのままにしているような、雨が降っているのにワイパーを動かさず運転しているような感覚─わかっていて、ここを超えたら、わたしの大切なものが変わってしまう気がしていて、取り返しがつかない気がしていて、だからわたしは怖い。これを差し出したら全てが変わってしまいそうな気がするもの。やっと獲得したと思ったら、それはきっとかつて当たり前にわたしの中にあったものが新しくなったもので、取り戻した過去という名前のわたしだったというか、それはつまり今というか、みたいなもの。
やっと手に入れたのに、今度こそ大切にできると思ったのに、差し出さればならない気がするこの大切なものとそれにまつわるエピソードと今ここにあるこの感覚は、もしたしたら過去のReplayに近いのかもしれないとこれもまたぼんやり思っていて、だからこの体験はなぞっているというか同調しているだけで、かつて封印した魂の記憶に今起きている癒しのプロセスが別のタイムラインでありながら重なるという体験をしているのが今なのだろうという気がしてきた。
無くしたのも、無くすのも(亡くしたのも、亡くすのも)、今では無い。この感覚は、今 体験しているのではなく、過去のReplayなのだ。その証拠に、ざわつきはしているが意識はクリアで、それは今ではなく、わたしは失わないという意識を確かに持つことが大切で、それができたら、改めてそれを持ったまま(今の自分の意識を保ちながら)、同時に過去という名前の川の中を歩くという体験を更に深めるのだとわかった。その体験は今ではない。今、しているものではない。今しているのは、どこまでもリアルな振り返りだ。再体験という追体験だ。分離しながら融合していく。その融合は融合であって融合ではない。
どうやら、この先を進むにあたり、脳が騙されるのを阻止する必要があるからこのnoteを書いている、らしい。今のわたしが赤い水で、過去の川が青い水なら、融合すると紫の水になる。でも、それは同じ水槽の中に入っているのではなく、2つの透明な水槽が重なっているだけ。水は混ざらない。紫色にはならない。だが、重なっていることに気付かなければ、混ざったように見える。
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この例えでさっきの話を整理すると、わたしは自分が赤じゃなくなるのが怖かったのかもしれない(書いてみて少しざわつくのでまだカラクリ的なものがあるかもしれない。フラクタル的に深まるのかもしれない。要観察。)。
紫(B)になってしまうと、赤ではなくなってしまう。でも、紫(A)は、青と重なることで生まれているものだから、そのままの状態で観察することは可能だ。ちなみに今更であるが、過去の川は青で示している。
長くなった。書きたいことは書いた気がする。ここまで整理できていれば、大丈夫だと思うので、ざわつきながら体験を意識的にゆっくり進めていこうと思う。
ちなみに、01/15(今は16だけど)は、去年も大きな気付きのあった日で、何となく意識していたからここに書いてきたようなことに気付けたのだろうと思ったと同時に、今年起きていることの前兆として、去年の体験があったのかもしれないと思うと、その見事な采配に背筋が少し寒くなった。
【追記】少し修正して、やっと完成した気がしているのだが、ふわりと浮かんだタイトルと、流れて辿り着いた(でも感覚的にはこれだという確信のある)サムネイルを見て、反射した水槽のものにしていて、書き始める前のわたしは書き終わったときに辿り着く場所がわかっていたのだと思ってまた寒さが増してしまった。昨年のわたしも、今年のわたしを知らないところで知っていたのだろうとより確信が深まった。
2025/01/16 (288/366-2024 010/365-2025)
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