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Don't think, feel.
とうとうこの有名な言葉をタイトルにしてしまった。
なぜかと言うとどうしても書きたいことが出てきてしまったから(脳から溢れてるので急いでる)。
今日のオラクルからです。
☼ 08/19 toWe Oracle ☽
— のびたまご🥚🚩✨✨ (@nobi_ta_mago) August 19, 2021
光の方へ。
光が導く方へ。
その光は、障害を遠ざけ、道をひらき、空間を創造する。
射し込む光を求めて彷徨うのはおしまいです。
光はわたしが創るもの。
それは、わたしが光であると知ること。
今日は、自分を照らす光の在り処を見直す、そんな日。 pic.twitter.com/mRw9DIS2mb
この言葉たちの真髄は、これなんです。
自分自身(自分という光)が羅針盤なんだよなぁ。
— のびたまご🥚🚩✨✨ (@nobi_ta_mago) August 19, 2021
#しみじみ
光は外に求めるものじゃなくて、既にここにあるわたしという光を感じ、それを体現する(一体化する)ことこそ、自分を生きるってことだと思うんですよね。
内なる光は必ず存在する。
なぜなら、わたしたちは生きているから。
では、その光はどうやってみつけるか?
その方法が、「Don't think, feel.」なんです。
考えることはいくらでもできる。
自分を説得することもできるし、路頭に迷わせることもできるし、そもそもフォーカスを外すことも出来る。なぜなら、思考の中に答えはない。
感じた先にそれについてする思考の中には答えはあると思います。
が...それを思考というのかどうかは「?」を投げかけたいところ。定義の問題ですが、一緒にはしたくないという思いを込めて。
感じてしまったことはなかったことになりませんもんね...🥲 https://t.co/XunhIeZ0EI
— のびたまご🥚🚩✨✨ (@nobi_ta_mago) August 19, 2021
つまり、感じられないと今は思っていることも、気がついたら感じてしまっている。
ということは、必ず自分の光というものをわたし(たち)は感じたことがある。
だって、生まれたての時は、誰しも光100%だから。
自分じゃないものを自分だと思っていくプロセスが、光を外に求めて生きていくのと同じことだとしたら、それを逆行するプロセスそのものが、自分に還るっていうこと。
実は、有名なこのセリフ、続きがあるそうです。
“Don’t think. feel! It’s like a finger pointing away to the moon. Don’t concentrate on the finger, or you will miss all the heavenly glory.”
今まで書いてきたこと。そのままでした(びっくりした)。
目指す先を間違えない。
追い求める光を間違えない。
生きているふりはやめて、ちゃんと生きよう。
でも、その“ふり”こそが、大切な要素でもあることはここに強く明言しておきます。それがないと、味わえないもの、感じられないものがあるから。
自分じゃなくならないと、自分を感じられない。
自分以外であることで、自分であることがわかる。
そういうことかなと思いました。
明日?から5天体逆行だそうで。
まさにそういうタイミングなわけですが...
全天体巡行期間生まれのわたしにとっては、逆行が増えれば増えるほどなんかいろいろ重くてしんどいです(思い込みかもしれないけど!)。
おしまい。
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