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幸せになることを誓います 2024/09/18 -2
なんとなくもう1本(?)noteを書こうと思った。何となくここ1ヶ月ほど、とくに9月に入ってから濃厚になっていた過去との対峙について、その結末について、現状確認を含め、この先の展開的なものがでてくるならばそれも含め、今の自分で言葉にしておこうと。
この(⤴︎)noteを引用することを決めて、引用だけが載っているblankページをつくり、サムネイルを決めよう、と思って検索ワードを考え、ぱっと浮かんだ言葉が「懺悔」で、わたしは何を懺悔しようと言うのだろうと思ったがそのままポンと検索をかけてみたら、今サムネイルに使わせていただいている画像が目に飛び込んできた。
わたしがするのは懺悔では無い、と思った。わたしがすることは、過去へ、今へ、そして未来へ、祝福を送ることだ。言語化する前の、感覚的にそう思っているところで同時に出てきた言葉が、タイトルにした『幸せになることを誓います』だった。わたしがするのは懺悔ではない。誓いだ。過去の、今の、そして未来の自分への誓い。もう、幸せになることから、幸せであることから目を逸らさないということ。しっかりそれを見据えて、今ここを選択していくということ。それを誓わずして、この先の未来はないと思った。それと同時に、誓わないことも断じてない、と思った。
誰にも影響されずに自分であること。なぜかそれにずっと罪悪感を感じていた。でも、誰にも影響されず自分でいることを選んでしまうから、どうにかしてその罪を償いたいと思っていた。他の誰よりも自分を優先してしまう、結局自分のことしか考えられない自分のことを、心が狭いとか、空気が読めないとか、他者を大切にできないと思って責めていた。
でももうおしまい。そんなこと考えている暇は無くなってしまった。だって、もう大丈夫なのだ。何がとか誰かとかどうとかそういうのはないけど、自分の深いところがそれに触れてしまった以上、頭が何を言おうが(否、頭は何も言っていなくて降参してるだけなんだけど)、もうそれは揺るぎないこととしてわたしのなかに存在するから。
クリアであることを恐れないこと。それと同じくらい、濁ること、くすむことを恐れないこと。それは、わたしがわたしであることを恐れないことであり、わたしがわたしでなくなることを恐れないことだ。
自分が何をどう感じているか、いくら頭で考えたところでそれには意味が無い。ただここにあるものを受け取ることでしか、真実を見抜くことはできない。わたしは、ずっとそれを恐れてきたけど、もうそれをやめることにした。わたしのなかには、わたしがわたしから手を離さない限り、いつも真実が存在する。
それを認めることが、わたしにとっては幸せであることを誓うことだった。どんなときもわたしがわたしを見放さないこと、どんなに絶望してもそこにあるひかりを信じ抜くことが、状況はどうであれわたしにとっての幸せなのだとわかった。魚座満月の今日に、今ここにいる自分に、そして自分以外の全てに、感謝と、僭越ながら愛(または愛みたいなもの)を静かに淡々と送りたい。
2024/09/18 -2 (203/366)
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