same but different❻ 2024/10/17 -6
same but different
同じで、違う。
同じタイトルで、いくつかnoteを書いてみたくなった。
なぜなら、おなじで違うサムネイルに出逢い、どれにするかを決めきれなかったからだ。
・・・だったのだが。
エスプレッソをショットで飲んだことがない。
エスプレッソ+αな飲み物は飲んだことがある。
ここでも触れたが、違いはいつも覚えられない。
(一応調べました。1番下にリンクあります)
人生において、そういうことって割と多い。
1部 includeしているとか、ニアピンとか、行き違いとか。
そういうものもまたヒントや前兆になる。
なぜヒントや前兆になるのかというと、先程述べたようなタイミングで触れたり触れなかったりする(重なったり重ならなかったりする)のは、そこにあるヒト・モノ・コト・場所etc... に自分が含まれているから繋がるものと、自分に含めてしまってるから繋がってしまってるものがあるからだ。
つまり、自分か自分以外か、どっちであっても今の自分にそのvibesがincludeしてしまっている場合、縁は繋がってしまうということ。
だから、混じり気のない自分を知る必要があるし、その自分である必要がある。混じったままでは、繋がるべきものと繋がれないし、気付かなければ、すぐ目の間にあったとしても、そのご縁に手を伸ばすことはできない。
ヒントも前兆もそれ以外も、この世界には常に溢れている。世界はわたしの写し鏡。わたしの内側の世界の万華鏡なのだから、わたしをシンプルにすれば世界はシンプルになる。
シンプルイズベスト。昔から何度も聴いてきたこの言葉は、わたしにわたしで在れと、あなたにあなたで在れと、そのままであることが最高なのだと教えてくれていた言葉だった。ね、世界はヒントと前兆に溢れている。
昔の自分が気付けなかったことに、今の自分は気付くことができる。ということは、今の自分が気付くことができないことに、未来の自分は気付くことができる。世界はそういう風にできている。過去も現在も未来も全部、今で繋がっているから、そのようになるならそのようになる。
だからやはり、一部が全体で、Onenessなのだ。ちょっと乱暴だけど。
※ よかったら「same but different③ 2024/10/17 -3」を読んでくださいませ。
たぶん、この感じだとこのままのらりくらり延々と書き続けてしまいそうなので、急ですがこの辺りで。
2024/10/17 -6 (234/366)
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