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計算しない 2024/10/10 -4

計算してるからダメな気がしてきた。

単に、noteの本数の話なのですが、敢えて違う意味にもとれるように書きました。一事は万事なので(と、自分にも釘を刺しておくw)。

今日は今年に入って284日目で、書いてるnoteエッセイの本数はこのnoteを含めて223本で、284-223=61で、つまり61本足りていない。前回こういう「今書いているnoteエッセイの本数」計算したときから、何も変わっていない。約2ヶ月分、遅れているのだ。61日も、書いてない日があるということである。改めて明文化すると地味に衝撃が大きい。

変わっていないということは、ほぼ毎日書いてはいるということ。ただ、追いついてないということは、リカバリーがうまくいってないということだ。前回(以下略)と状況が何も変わっていない。これでは「1日2本以上書く」と決めた意味がない。

そのnoteを確認した。過去のわたしは、「1日2本ペースで挽回する」という目標を立てていた。

ということで、note自体は65本遅れ(がーん)ということなので、1日2本ペースで挽回していくことを密かに決めつつ、このnoteを終わりにしたいと思う。

205/270と270/366 つまり今年はあと96日 2024/09/26 -2

この目標の立て方が間違えていたのだ。1日2本ペースというのがよくない。よさそうでよくない。そもそも、1日に何本書いてもいいのだ。そして、そういう1日に何本も書いてもいいことにしておけばいいのだ。自分で自分に勝手に制限をかけるような目標の立て方をするから達成しない。なぜなら、「1日2本ペース」、というのは、いつの間にかわたしの脳内では「1日2本書く」と変換されていたからだ。1日のノルマが増えている。

そもそも、達成できてない状態で自分を責めて目標を立てているのがイケてない。できていないのだからハードルは下げるべきだ。できないのに・・・・・・よりできない・・・・・・目標を立ててどうする。ゴールが決まっているなら、簡単にやる気が出て勢いに乗れそうな、テンションが上がりそうな目標にすればいいのだ。

のびたまごよ、自分にダブルバインドを強いるのはやめろ。ダブル或いはそれ以上の、何某かを同時に達成しないけばいけない(でも達成できない)ことを、自分に架すな。

そもそも、1日に何本とかそういうのは、上限など無いのである。「最低〇〇する」、みたいな「できなかったらダメ」だと自分をいくらでも貶めることのできることをそもそも目標にしないことだ。いくらでも書いていい。上限などない。自由だ。

人に変に思われても、そんなの関係なく書き続ければいい。更新し続ければいい。1日に10本書いてもいい。そんなに書けるんならもっと前から書いとけばよかったじゃんとか思わなくていい。今だから、自分をバインドしないせずに済む目標を立てられるのだと思う。

だから、もっと解放感のある目標を立てよう。できたら嬉しくなる目標で、気が付いたら達成しているよくな目標で、でも確実に積み重ねている(赤字ではなく黒字)の目標を立てよう。そうすれば、目標が定まればそこに明確な意図がある故に、自動的に目標が達成される仕組みが生まれるはずだ。そうなれば、そうする目標に向かって進むことでそもそもこのループ目標が定まればそこに明確な意図がある故に自動的に達成される仕組みが発動するのだから、達成感という名前の喜びが循環していくはずだ。

喜びを原動力にすること。そしてそれがそのまま巡るシステムを創ること。それがきっと、自分の願いを叶えるための最短ルートだ。短ければいいということが書きたいのではない。本当に無駄なこと・・・・・・・・をしなくてすむということもまた、循環の純度を上げるためにとても必要な事…というか、何なら必要不可欠だからだ。

だから、わたしは計算しないことにした。つまり、既存の枠に自分をはめないことにした、というわけ。

問いかけが、open question>closed questionであるように、目標もまたrelease>bindであるべきなのだと思った。

実際、今日(2024/10/10)は、1日4本更新したことになる。そういうことを書いている日に、そのままそこを超えているあたり、諸々の伏線を華麗に回収していて何だかとても清々しく思えた。




2024/10/10 -4 (223/366)


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