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言葉を紡ぐというもどかしさについて 2024/11/27 -3

言葉については何度も何度も触れてきたし、書いてきたし、話してきたし、きっとこれからもずっとそうしていくと思うのだが、今日というタイミングでもう一度そこに触れておきたいと思った。

それは、とあるスタエフを聴いたからで、そこからわたしの中の何某かのSwitchが押されっぱなしになってしまい、多分顕在意識と潜在意識の間のキワのところで、キリキリと、あるいはくるくると、また或いは狂々くるると、回り続けている。

まだ言葉になってはいない、その言葉になる前の感覚だけが満ちている今のこの感じを、急に言葉にしておきたくなった。今ここにあるものは今ここで言葉にしておかないと、すぐにわたしという透明な輪郭をすり抜けて空中分解してしまう。あるいは、どんなに手を伸ばしても二度と触れられないところへと遠ざかってしまう。果たして、遠ざかっているのか、せっかく分離できた(かもしれなかった)はずのものが、また自分の真ん中に潜り込んでしまっただけなのかもしれないのだけど。

兎にも角にも、今日わたしの中には水星のvibesが満ちているようで、言葉を紡ぐのにあまり苦労をしない。これは最適なタイミングで、ありがたい。自分のことだけど、ままならないことというのは山のようにあって、だからこそ合って欲しいときに合って欲しいことと自分のタイミングが合うということは、言い過ぎかもしれないが千載一遇のチャンスなのだ。噛み合っているときと噛み合っていないときでは、アウトプットのその先や、アウトプットの前のイン-インプットの時点での体感や翻訳具合や感覚の受け取り具合が全く違う。

改めて本当に今日で良かった。配信がされていることは知っていて、でもなんとなく聴けなくて今日までためておいてよかった。こういうのも感覚なので、カチリと合った感じがするときは本当に嬉しい。

今日は、他にも色んなタイミングが合っている日でそれは合わないも含めてで(そもそも合わないって何なんだろうね)、わたしは今ここにいるのだという感じがすごくして、2つ前のnoteに書いたモラトリアムをものすごく感じて、そういう意味で、今ここにいるわたしはとても幸せだと思った。

色んなスパンで自分のことを振り返っている11月。そして、今ここの自分と結んだり、手放したり、受け取ったり、理解したり、反省したり、手放したり(2回目だけどそのままにしておきます)、まるっと包んだりしている今の感覚はちょっと早々ないもので、渦中にいながらにしてこれだけ受け取れるというのは(あわあわして落ち着かない自分もいるにも関わらず真ん中の静寂に触れ続けていられることは)、これまでの何年間か、あるいは生まれてから今まで、更にはその前の人生(だけじゃないかもだけど)を含めた壮大な伏線回収とそれ故に開くこの先の未来があるのだろうと思うと、わたしは、わたしがわたしであるということを、そうあれる自分であることを、本気で時間をかけてやってきて良かったなと心から思っている。

自分への感謝相みたいになった。それもよかった。さて、少し買い物をして、家に帰ろう。




2024/11/27 -4 (262/366)

聴かせていただいた配信、とはこちらでした。

①、③もありますし、④もきっと明日(11/28)配信されるかと!
気になった方はぜひチェックを✨️


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