宿命の隔世遺伝

少しだけ祖父のことを書き記します。
僕の母が小学校に入学して間もなくの出来事。
逆算すると母は昭和12年生まれなのでおそらく昭和20年、
終戦前の家族の大きな出来事。
同じ苗字の一族が集まって住んでいる(周囲が何らかの形で親戚)
田舎の海辺の街では比較的裕福だったであろ母方の一族で
本家筋とでも言えばいいのか僕が写真でしか顔の見たことのない
祖父の孫六お祖父さんは戦争には行っていない。
子供は順番に、長男、次男、長女( 僕の母)、三男、四男と5人。
戦争に行かず働かなくとも子供5人をよく養うことができたと思う。
いろんな話を聞き、そこから大まかに性格、性質、行動予測するのは
40年人と接してきたちょっとだけ僕の得意分野である。
小柄で丹精な顔立ち、散髪は欠かさず髭は毎日あたり、
しかし終戦間際の混乱の時期に仕事もしない。
性格は温厚に見えるが表情と感情を使い分けることが出来るタイプなのだろう。
母の記憶ではあまり話したりはせず、
椅子に座り煙草を吸いながら庭木を眺めているところくらいしか
記憶にないそうだ。

この孫六お祖父さんは、春のよく晴れた日曜の昼まえに、
庭で何かの作業していた妻(祖母)と娘(僕の母)の横を歩きながら、
「ちょっと煙草」とだけ言って出ていった。
どういうわけか「ちょっと煙草」で「ちょっと煙草を買って来る」
ではなかったそうです。「ちょっと煙草」で家を出て、
80年経った今も帰って来てはいないのです。
失踪後、年に何度か県内で身元不明の遺体が発見されると
祖母の元に県警より連絡があり、
都度長い時間をかけて話を聞いたり写真も見せられたことでしょう。
しかし毎回、孫六お祖父さんではなかったそうで、
概ね20年ほどで諦め、一家の長として、骨もないのに骨壺の中に収められ
墓を建てたということです。

その海辺の街で僕は幼稚園から中学2年までの間、欠かさず夏休みを過ごし、
お盆には、父と母、従兄弟、叔父叔母が集合し、墓参りをしていました。
親族一同空気を読んで順に墓前に手を合わせるのですが、最後は決まって僕の父、
皆2、30秒かけ拝み墓石の埃をとったり酒やおつまみを置いたりしているのですが、
最後の父だけは墓前に着いた瞬間手を合わせながら一瞬しゃがみ動作を止めることなく立ったと思ったらそのまま自分の車に乗り込んで帰る。何故か僕を連れて帰る。
墓参りの後、ご一行様は田舎のよくある法事だけで生業にしている様な
やはり親戚筋の食堂に行くのに、人攫いの如く僕だけを連れて帰るのです。
まぁどうでもいい話なのですが。
終戦間際「ちょっと煙草」だけ言い残して消えた祖父。
そして、その墓参りの際の父の行動。
多分僕の父は「ちょっと煙草」だけ言い残して消えた祖父の気持ちを、
理解ではなく感じていたんじゃないかと思うんですよ。理解ではなく感じる。
何故なら、僕自身、職を離れて還暦を前に、
消えた祖父の気持ち、そして父の不可解な行動を、理解ではなくて、ほんの少しだけ、
頭の中の奥の奥と、喉と心臓の中間あたりの深い部分で、理解出来ではないので
言葉で表現出来ないけれど、血液とか細胞レベルで何か気づき、
何かが変わろうとしている。そんな気がするというか、何かを感じるのです。

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