危険なDNAと血脈

家族のこと自分のこと
本日をもって定年引退するのだけれど、寂しいさとか悲しみとか、そう言った悲壮感は正直ありません。
先々の生活に不安もなく、何とか生きていくことはそう難しくない様な、若干投げやりな自信がどこかにあります。
しかしこの「若干投げやり」が、今の自分には少しだけ気になるのです。
というのも、母方の祖父、母方の叔父2名、父方の祖父、父方の叔父、そして兄と父全員が、離職のタイミングが早く比較的短命なのです。
この種の系譜の話は、物理的な遺伝や家族内の同じ生活環境から似てくる傾向に
あってもおかしくはないのですが、「若干の投げやり」どころではなく、
その加減が「突き抜けちゃってる投げやり」なのです。
まず、僕の父です。
父は55歳で定年し、一切職につかず持てる全てを高校野球の観戦に捧げるという
ちょっと自分勝手でな老後に向かいます。
観戦は1982年〜1996年くらいまでで、ピークは1987年の甲子園。
現在プロ野球解説者の鈴木健(浦和学院→西武ライオンズ)や亡くなってしまった伊良部秀輝(尽誠学園→ロッテ)、鈴木健に関しては浦和学院のスコアブックまでつける始末・・・
話が脱線しています。すみません。
80歳を少し過ぎた頃、癌にかかるのですが、痛みの伴う全ての治療を拒み、
最終的には腹膜炎から敗血症で死に至るという、後にして思えばほぼ計画的自死。
家族にしてみれば悲しみどころか、迷惑通り越して笑ってしまう程痛みや入院の拘束、食事制限から自分を遠ざけていました。自分の命を軽んじ完全に投げやりでした。
幸せ不幸せは別にして、やりたい放題好き放題で最終的には放り投げる。
なんだか書いてみるとさらに実感するのですが、まさに僕。
そして誠に勝手ではございますが、今日は疲れたのでこのあたりで。
終わり。
次回は母方の祖父の話し。

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