なんで自分ばっかり。いや違う
夏生まれの人は、酷暑でもなんだかんだいきいきしているような気がする。「あつい、あつい」と言いながらも活動的に動いているように感じるのは気のせいだろうか。
私は冬に生まれたので、暑いのが苦手だ。しかし生きていくためには毎日の気温に順応していかなければならず、なんとか踏ん張って生活している。
先日OKストアで買った冬瓜を使って鶏ひき肉と長ネギ、椎茸人参などを使って冬瓜汁を作った。それとともにジャガイモを使いポテトサラダを作り、実家に届けるようにタッパーに入れて、出勤前に自転車で目的地へと向かった。
その途中に神社の横を通り抜けた時、私を追い越して行った自転車から何かが落ちた。わりあい大きな子ども用のおもちゃに見えた。これが無いと、この人も困るだろうな、と見たことはないその人の小さなお子さんの顔が浮かんできた。やはり追いかけようと、それを拾いあげ、ペダルを勢いよく踏みこんだ。
追えばおうほど前方との距離は開いていく。始めは直線距離だったが、女性は左折してしまった。「ここで左折すると遅刻するかもしれない」目的地からどんどん離れていく事に勇気がいったが「えい!」と思い切った。
「すいません!すいません!」
大きな声で後方から呼びかける。
ようやく前方の女性に通じた。いぶかしげに振り返った女性におもちゃを差し出すと
「あらまあ、こんなところまで、ありがとうございました」
と、丁重にお礼を言われた。
「こんなところまで」と言われてハッとした。
「いいえ、よかったです」
と、言うと踵を返してもと来た道を爆走した。
おかずを実家に届けて、尚且つ遅刻はせずに職場には到着出来た。
別の日にこんなことがあった。
まるでデジャヴかと思った。前方を走る中高年男性が乗る自転車から何かが落ちた。分厚いゴム製の手袋だ。
おそらく、その人がこれから行く仕事先で使うものだ。市販では買えないような頑丈そうに見える手袋。私はそれを拾い上げて
「すみません!」
と、追いかけた。男性は振り返り
「ああ、どうもありがとうね、ごめんなさいね」と言われた。
ふと1人になった時に何となくそんな自分に虚しさを感じてぼんやりとした気持ちになる。いつもいつもそんな感じだ。ティッシュペーパーやトイレットペーパーやコピー用紙の補充をいつも私がしているような気がしていた。
こうやって、人がやらないことを毎日やり続けることで何があるんだろう?そんな風に考えながら自転車を漕いでいると、ものすごい勢いで後方から私を追いかけてくる音がした
訝しげに振り返ると、高齢の女性が
「あなた!リュックのふたがぜんぶ開いていて危ないわよ!中身が落ちそう!」
見ると私のリュックはチャックがほぼ全開になっており、中身が飛び出そうになっていた。
「ありがとうございます」
そう言いながら、なんで私ばっかりと思っていた自分を恥じた。
何かしら見知らぬ人からしてもらっていることはたくさんあるのだ。
それをありがたく思いながら毎日をすごそう。
嫌だなって思いながら暮らすよりそのほうがずっとよい。暑いあついと言って毎日を嫌悪するよりも、夏や酷暑を日々のことと捉えて、生活の中に組み込もう。なんとなく、そんなふうに思った。そんな残暑厳しい8月15日。
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