『八ヶ岳南麓から』山暮らしのリアル

これまでたくさんの本やエッセイを書いてきた著者だが、意外にもプライベートな暮らしについては、ほとんど書いたことがないという。本書はここ20年余りの二拠点生活について書かれた一冊だ。

著者は50代で八ヶ岳南麓に土地を買った。八ヶ岳には東麓と西麓もあるが(北側は霧ヶ峰へと続くため北麓はない)、東麓には夕陽がなく、西麓には朝日がない。一方、八ヶ岳南麓は年間日照時間が全国1、2位を争うほど日当たりが良いうえに、掘れば水が出ると言われるほど伏流水が豊かな土地だ。

そもそもは、定住している友人から「一夏、イギリスで過ごすから家が空く。借りて住まないか」と誘われたのがきっかけだった。都内の暑さに閉口していたこともあって、渡りに船と話に乗ったが、一夏過ごすうちにすっかりはまってしまい、夏の終わりには地元の不動産屋に飛び込んでいたという。

標高1000メートルに建てた山の家は、ツーバイフォーの輸入住宅で、できるだけ凹凸のないシンプルなつくりにして、内部空間をひろくとった。天井高は最大4メートルあり、吹き抜けの上部にも窓をつけたため、自然光で一日中家の中が明るい。

その山の家に、コロナ禍になってからほぼ定住状態になった。移動の自由を奪われ、気が塞ぐかと思えばそんなことはなかった。折々の山がみせる表情の変化が住む者を飽きさせないからだ。

「雪が溶けて山里の春が訪れ、新緑が芽吹いて、いきおいよく夏の緑に変わる。小鳥のさえずりがやがて耳を聾するような蝉の声に変わり、気がつけば虫のすだく秋が来ている。目を奪うような色とりどりの紅葉がすっかり葉を落とすと、やがて森が明るくなり、雪の上を小動物が足跡を残して往来する」

山の家で味わう四季の移ろいは格別だ。夏につくる桃の冷製ポタージュの美味しさや、冬のぬけるような青空の下、ゲレンデにヴァージン・シュプールを描く朝スキーなどは、住民ならではの特権である。

こうした山暮らしの醍醐味は読者の憧れをかきたてることだろう。だが、そこは鋭い観察者でもある著者のこと、けっして良いことづくめではないこともしっかりと指摘する。

例えば、虫の多さ。夏場の散歩は蚊柱がお供についてくるから長袖が欠かせない。灯りを灯せば、光に引き寄せられた無数の蛾がガラス窓にぶつかる音が絶え間なく響く。どうやってみつけるのか、ハチミツのポットにも蟻が群がる。八ヶ岳南麓では何年かに一度、虫が大量発生するというが、おびただしいヤスデが道路や側溝を覆い尽くす光景は、ちょっとしたホラーだ。

「こういうことは山暮らしを勧める雑誌には載っていない」と著者はこぼすが、虫だけでなく、下水の話やゴミ出し事情、他の住民との関係、高齢化の問題など、本書は山暮らしをやってみたい人に役立つ情報も満載だ。

例えば、下水。「掘ればどこでも水が出る」なんて聞くと、水道代はタダ同然じゃないか!と色めき立ってしまうが、冷静に考えると、人が暮らすには上水だけでなく下水も必要なのである。都会と違って下水道なんて整備されていないから、浄化槽を掘り、おしっこやうんちは自分で処理しなければならない。著者はある日、家の浄化槽が壊れてしまい、部品がなく新品に取り替えるしかないという事態に見舞われる。水はタダと思いきや、設備投資を考えるとけっこう高くつく、というのが著者の教訓。山暮らしはけっしてラクではないのだ。

本書がユニークなのは、おひとりさまの山暮らしについて考察しているところである。
ひとりものにとって、盆と正月は孤独を感じる「魔の時間」だというが、著者には大晦日を共に過ごす仲間がいる。名付けて「大晦日家族」。夕方から鍋料理を食べながら紅白歌合戦を観る。9時を回るとご近所の蕎麦打ち名人から打ちたての蕎麦が届き、12時が近くなるとカウントダウンを始めて、12時きっかりに「あけましておめでとうございます」の声と共にシャンペンを開ける。

だが、4人いた大晦日家族のうち、2人は鬼籍に入った。また、カップルの一方が亡くなり、おひとりさまになったという人も周囲にだんだん増えてきた。八ヶ岳南麓に移住してくる人たちは60代前後のカップルが多いそうだが、移住して20年も経てば、亡くならないまでも、一方がガンになったり認知症になったりする。そこには当然、介護の問題がついてくる。

著者の住むところはかつての大泉村で、2004年に北杜市と合併した。合併によって長野県と県境を接する広域自治体となったが、最近まで医療・介護過疎地帯だったという。ある時、そこに東京から還暦カップルが移住してきた。夫は医師、妻は看護師で、しかも訪問看護師のパイオニアだった。

この宮崎和加子さんという女性がパワフルだ。グループホームを立ち上げ、訪問介護と訪問看護も事業化した。認知症デイホームも開設し、リハビリに特化したデイサービスも始めた。彼女のつくった一般社団法人だんだん会は、6年のうちに7事業所、計75人のスタッフを擁するまでになったという。北杜市はいまや医療・介護資源の充実した「おうちでひとりで死ねる」地域に生まれ変わったのだ。

こういう話を読むと、人材はいたるところにいるのだと気付かされる。そもそも山暮らしはこまめに体が動く人でないと立ち行かない。大工仕事はお手の物だったり、保存食づくりが得意だったり、立ち働くことを厭わずなんでもこなせる人たちが、もともとこの地にいたのだ。宮崎さんがそういう人材をまきこみながら地域を変えていく様子を、著者は頼もしく見つめている。

本書の最後に置かれた「おひとりさまの最期」は、実に味わい深く、深い余韻を残す。この八ヶ岳南麓で、著者はおひとりさまの高齢男性を見送った。民衆史で知られる色川大吉さんである。享年96歳。著者は23歳下で、同じ敷地に家を建てていた。

92歳までスキー場に立つほど元気だった色川さんも、室内で転倒し大腿骨を骨折してからは在宅療養となり、車椅子生活になってからの3年半は、著者が介護保険利用のキーパーソンになった。そこにコロナ禍が重なる。ほとんどの仕事はオンラインになったため、山の家で色川さんの療養生活を見守ることが、著者の仕事になった。

壮健なとき「支える側」だった人も、いつかは「支えられる側」へと回る。支える著者と、支えられる色川さんの姿は自然体で、真に成熟した大人の関係を目の当たりにする思いがした。コロナ禍によって訪れた静謐な時間の中、四季の移ろいをじっくり味わいながらふたりで過ごした最期の日々は、なにものにも代えがたい豊かな時間だったことだろう。

「元京大ワンゲル女子」の著者らしく、あとがきに「長い間憧れだった山と渓谷社から、初めて本を出すことになってうれしい」とあるのがなんとも微笑ましい。

新潮社の文芸編集者だった著者は、退職後、富士山麓にセカンドハウスを手に入れた。偶然にもそこは、武田百合子の傑作『富士日記』の舞台となった山荘があった別荘地だった。武田泰淳・百合子夫妻をめぐるエピソードも面白いが、著者の山暮らしの話も愉しい。チェーンソーを購入するときの心得や、ツタウルシを伐採する際の注意点など、著者の経験談は山暮らしに興味のある人の参考になるだろう。丸太は乾いているほうが割りやすいと思っていたが、そうではないことを本書で初めて知った。


いいなと思ったら応援しよう!