十勝の酪農の歴史にも名を残す実業家 渋沢栄一 ~ 十勝開墾合資会社の設立
2024年に発行される新1万円札にその肖像が刻まれる「近代日本経済の父」渋沢栄一。
渋沢が世に創設した会社は500を超えると言われ、その功績と人生が先日最終回を迎えたNHK大河ドラマの主人公として描かれました。
近代日本を代表する実業家が、北海道十勝地方に、畑作や酪農業を手掛ける会社を設立していたことはあまり知られてはいません。その舞台となった十勝地方の清水町を訪ねました。
※トップ画像(銅像)は清水町にはありません
入植と会社設立
清水町は十勝地方の中心・帯広市から車で約40分。十勝平野の西部に位置し、豊かな大地が育む畑作と酪農が盛んな町です。
渋沢栄一ほか10名は、1898(明治31)年に「十勝開墾合資会社」を設立し、現在の清水町熊牛(くまうし)地区に農場を開設しました。そのきっかけとなったのは、国の方針として上がった「蝦夷地開拓」であり、北海道庁から命を受けたものとされ、約1年間の現地調査を経て、入植を決断したと言われています。
同年、石川県や福井県出身者ら26戸99人が、太平洋に面した大津(現・豊頃町)から上陸し、十勝川を遡って、熊牛の地にたどり着きました。
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