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本について

私は近くの図書館に暇を見つけては足繫く通っている。そこで私は本棚の前に立ち本を手に取り読む人を当然のように見かける。
しかしこれは何というか事実だけを見ると滑稽なことに思えてこないだろうか。
彼/彼女が見ている物は何か?
——本である。
それには何が記載されているのか?
——文字である。
そう。つまるところ本には、あの分厚い書物には文字しか記載されていない(雑誌等を除いて)。
文字を理解していない人物は果たして我々がしている行為を理解できないのではないか。
そんなつまらぬことを考えてしまうのである。
小説。これは漫画とは違う。異なる点は小説にはほとんど文字しかないこと(挿絵を除いて)。しかし私たちは文字から様々なことを想起する。あるはずのない風景を、いるはずのない人物を創造する。これは歴史にも同じことが言える。
おそらく、というか絶対に、同じ小説を読んだとてそれぞれの人が考えたその小説に登場する人物の顔や風景が一致するなぞということはまずないだろう。それが理由で私は本を読む人の頭の中を覗いてみたくなったりする。

もう少し夢想をしたい。
先ほど言った事実だけをみると図書館とは異常な場所ではないかと思えてくる。至る所に本を広げて文字を見ている人がいる。
「読んでいる」という言葉には読む人間が文字を理解できることが前提にある言葉である。
読書とは一見当たり前な行為に感じられるがその実不思議な行為であると感じるのは私だけであろうか。

本に限らずとも、我々は至る所で文字を目にする。しかし、それには多彩な色やイメージ、写真、イラストなどが付加されていることが多い。
文字だけで勝負しているのは。やはり一部の本なのだ。本の魔力というのか凄みと言うのかそんなことを感じずにはいられない今日この頃であった。

Column:私の本に対する嗜好

しばしば私は本の表紙の手触りで読むか読まないかを決めることがある。私が好むのはたいていツルツルしているものではなく、サラサラとしている紙のような素材(詳しくは知らないが)を用いた表紙カバーの本である。
加えて表紙絵だ。思えば私は幼い頃、表紙絵で良本かそうでないかを勝手に決めていた。読んでもいない本の良さを勝手に決定する基準になり得るほど、表紙絵は重要だったのだ。特に私が愛してやまなかったのは和田誠さんの描く表紙絵だ。星新一さんのショートショートセレクションの表紙絵になっていたあの絵が本当に好きだった。見ているだけで愉快な心持になった。勿論、星新一さんの書く小説も愛してやまなかったが、やはりきっかけをくれたのは和田誠さんであった。シンプルな表紙絵。奇抜なデザインかと言われるとそうでもないあの表紙絵。しかし気づけばなぜか惹きこまれてしまいそして本を開いている。

仮に本を開くのに100円払ってくださいと言われたら私は払ってしまうだろう。そういう意味では和田さんは巧みなセールスマンと言えるのではないか。
ふとそんなくだらないことを考えてしまった。



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