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[主観で語る]ルックバックを観た感想とかその他色々(メモレベル)

※この記事は映画「ルックバック」のネタバレを含んでいる可能性が高いですが、このネタバレは映画の価値を下げるものではなくむしろ上げるものであるため、多分大丈夫だということをご了承したうえでお読みください。
あとメモのような形で書いているので文体も統一してないです。


映画を見る前まで


昨日、約八年ぶりに映画館に行った。観てきた映画は「ルックバック」
YoutubeでPVを見た時から観に行こうかどうか迷っていたが仕事のない休日はたまらなく退屈だということに近頃うんざりしていたので観に行くことにした。
午前中にネットでチケットを購入した。1700円。
「チケット購入」のボタンを押すまでに1か月近く迷っていた。1700円あったら、一週間の食費がぎりぎり賄えるのでは?水道代、電気代、家賃に使った方が…?など自分の中で様々な誘惑があったがその日はまるで観に行くことが決まっていたかのように最終的にはスッと。カチッと画面上のボタンを押していた。
自転車を漕いで映画館に向かう。
ルンルン気分で映画館に向かう。
映画館に行くのなんて何年ぶりだろう。下手したら小学生の時に行ったのが最後かもとも思ったが、大学生の時に一回行った記憶があることに気付き、まぁ大体八年ぐらいかな…と改めて思った。
「虚構最高!」
「やっぱ虚構っていいな」
「楽しみ」
などということをぼやきつつ思いつつ自転車を20分くらい漕いだ。

映画館に行くのは久しぶりだったので、チケットの受け取りに少し戸惑ったが、今では人を介さずに自動でチケットを発券してくれるのだということに驚き感動した。(八年前も同じようなシステムだったかもしれないが)

チケットに書いてある時刻から映画が始まると思っていたので、受付の人にそれを提示して入ろうとすると「まだ準備中ですのでもう少々お待ちください」と言われた。なるほど、これは映画の開始時間ではなく、入場の開始時間を示していたのだということに気付いた。

「ルックバック」

そうして観た映画は…
結論:(原作を見てから)観て良かった
以下粗雑な感想
なんかもう序盤の方から泣きそうになってましたね。
この後でも何回か言うと思うんですけど音楽(BGM)が良かった…もう涙腺を崩壊させにきていると感じるくらいの音楽でした。
原作を読んだ時は好きな事や楽しいことに没頭することやそれと向き合っていくこと…に対して感嘆していましたが、映画を観た時は結末を既に知っていることが相まって映画「ARRIVAL」を観た時に感じた切なさや哀しさと近しい感情を抱きました。

泣きそうになったところ:藤野と京本が蜜月を交わしてくシーン
二人の青春、思い出、輝くきれいな眼。
二人が走る中流れていた音楽が良い。
藤野の背中を見続ける京本。

短い(確か55分)けど短いとは思わなかった。作品の質は時間をも凌駕する。

普通誰も見ないような細かいところまでしっかり描いてあって尚且つその一つ一つに物語を感じた。(コードのずれとかもっとちゃんとみときゃよかったな…)

「じゃあ藤野ちゃんは何で描いてるの?」に対する明確な答えはない
≒ただただ描き続ける

最後空白の4コマを貼った理由
→京本との全てを忘れないため,内容の描かれているコマを貼ってしまうとそれに限定されてしまうかもしれないから。思い返したときに何でも入れられるように

藤野「私が家から出したせいじゃん」的なことを言う(記憶が曖昧です…)
京本「藤野ちゃん、私を部屋から出してくれて、ありがとう」的なことを過去に言っている

パラレルワールドでは誰も死なないルート
→でもその代わりにその世界では京本と藤野の小学生~高校生での思い出は無い…

藤野に手を引っ張られて京本が手離しそうだったけど離さなかった
→繋がりは終わらない

これほどまでに完璧で美しい物語があるのか…と感動した。
映画を観る前は2つ隣くらいの席に3人のきゃぴきゃぴ女子たちがいて運悪~とか感じてしまっている自分がいたが、映画の時は静かにしてくれていたので自分の偏見に少しだけ嫌気がさした。
あっ、しまった携帯電話の電源切るの忘れてた。電話かかってきたらどうしよう…ということを映画を見てるときに一瞬だけ思ってしまい、もし次十年後くらいに映画館に行ったらその時は携帯の電源を必ず切ろうと思った。

終始泣きそうになりながらも涙は垂れなかった。眼は常に濡れていたけど。眼をぬぐう仕草を見られていると感じるのが嫌だったというのもあり、涙を流しそうだけど流さない時の感情がいい感情と言うことを悟り少しだけ涙を流すのを我慢していた。
音楽と映像がマッチしすぎて感情の制御ができなかった。感情とは波のようだと感じた。
このあと京本は…ということを考えてる→この楽しさは永遠ではない…という哀しみが込み上げる→眼が洪水状態になる。
終わった後にとりとめのない感想をメモ帳に書いている時に我慢していた涙が出てきた。ティッシュ1枚使って鼻をかみました。

「映画館」について

映画館という箱
箱の中と外の乖離、それはある意味虚構と現実の乖離を示しておりその乖離が映画館に行く上での楽しみではないのだろうか、というか自分はその差異を観終わった後楽しんでいた。
映画館、オフィス、プール、教室、自分の家…人間は箱の中で虚構に興じ、箱の外と中での差異を楽しむ。箱は言語に還元され、そこには前提が存在する。
地球とは箱であり映画館であり我々はその箱を想定することができるために共存という選択肢を取ることができたのかもしれない。 
その箱の中の席、身分を勝ち取るという構図は資本主義的な競争を含有するものでありそうか、資本主義があるから映画館は存続できるのかもしれないなというよくわからない結論を導いた。

映画とは全く関係のない話

映画を見たのち、家の近くのスーパーでガリガリ君を買った。その日は暑かったし思い出の足し算をしたいと考えたがためである。数あるアイスの中でガリガリ君を選んだのは単に一番安かったから。(それでもずいぶん値上がりしたものだなと思う)ソーダ、梨、グレープフルーツの3種類が売られており、ソーダは子供の時に食べたから味は熟知している。まぁいいでしょう。梨も最近食べておいしいと言うことがわかっている。グレープフルーツは…?おいしいかまずいかどうかが、分からない…!安定の梨を選ぶか、グレープフルーツを選ぶか…迷ったが、思い出の足し算をしたいということでどっちに(うまいorまずい)転がっても面白いであろうグレープフルーツを選ぶことにした。買った後すぐに食べる。うん。氷や。微かにグレープフルーツの味がする。私は濃いものが大好きなので、薄味には疎いのだ。それでも美味しくいただいた……あれ?木の棒になんか書いてある。
当たりや…

ガリガリ君って当たりとかあるんだ…

「え、やば。超虚構~」
当たりがでた瞬間私はそう叫んでいた。
え、そういえばガリガリ君って当たりとかあったっけ…
あ、そうか…え、これって珍しいのかな?
え、てかどうしよう。あ、なんか左下に購入した店舗で早めの交換お願い…とか書いてある。え?誰に持っていけばいいの?(そこは大型スーパーだった)
まぁ、いいや…とりあえず洗って…と。
いやぁ…当たったよ。
当たったけど…最初ちょっと嬉しかったけど…
いざレジにいる店員さんに見せようと思うと…なんか恥ずかしい…
いや、おばあちゃんとかだったら多分みせやすいんだろうけど…(「まぁまぁ、当たったのね」的な)でもあそこにいるレジの店員金髪で多分大学生だろうしな…
「ガリガリ君当たりました!」って持ってったら笑われるんちゃうか…?
いい年こいたおっさんが「あたったで~」とかちょっと…なぁ…
いや、でもその分得できる訳だから、交換しないという選択肢はない。「早めに、購入した店で」って書いてあるから…今日ここで決着をつけたい…
あ~どうしよどうしよ。なんで当たるんだよ。面白すぎるだろ。え、何?やっぱ俺主人公じゃね?
面倒臭さいな…
そうして自分は30分くらいもじもじしていました。(今思えばレジ前でうろうろしてたから明らかに不審な人物として見られていたと思う)
結局金髪の人が一人でいる所を見計らって
「あのすいません。アイス当たったので交換したいんですけど…できますかね?」
と、さも交換に慣れている感じを装って店員に話しかけた。
するとすぐにおばさんの店員が来てアイスの棒を確認するとじゃあ新しいガリガリ君をもってきてくれますか?と言われた。
金髪は「え?当たり出たの初めてじゃね?」的なことを言っていた。
アイスの棒をごみとして捨てようとすると、店員のおばさんがいや、これはこちらで預かりますので、と言った。確かに考えてみればこの棒があればガリガリ君といくらでも交換できるな…と思い私がペロペロしたアイスの木の棒を仕方なくおばさんに引き渡すことにした。
ふう…危うく当たったアイスの棒を取り合う戦争が始まるところだったぜ…

新しいガリガリ君は梨をもらって今度は家で食べました。安定の美味しい梨味でした。
一日に2つもガリガリ君を食べるという非連続的要素を映画館に行ってルックバックを観たという非連続的要素と足し合わせることができて、自身の退屈な物語がより物語に近づいたのではないかと思える伝説的な一日でした。

最後に

ルックバックが1700円の価値があったかどうか?
とか
今まで観た映画の中で何番目に良かった?
とか聞かれても「わからない」としか答えられません。
ただ「観て良かった」としか言えません。
とてもお金の価値では測れない作品でしたし、そもそもそれをすること自体が無粋な気がします。
2つ目の質問も、そもそも自分はあまり映画や作品、虚構に優劣をつけないタイプで唯一基準があるとするなら何年たっても記憶に残ってるかどうかなので今はまだわかりません。

それでも観ようかどうか迷っている(もう流石にいない気がしますが…公開から一か月経ってますから…)なら「自分は観ても後悔しなかったよ」とか「観て損とは思わなかった」言いますかね…

漫画家の人やアニメーターの人、アニメ映画を作るにあたって関わる全ての人に対して尊敬の念を抱きました。

クリエイターは素晴らしい。
やっぱり虚構は最高だ。

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