東アジアと青銅器
《銅鏡》青銅製の鏡。青銅を磨いて鏡とする。円鏡のほか方鏡,八花鏡,鈴鏡などがある。
最初の銅鏡は新石器時代に現中国の甘粛省から青海省一帯に広がっていた斉家文化(せいかぶんか)Qíjiā Wénhuàに見出されるようである。春秋戦国時代以降になると、多種多様で本格的な銅鏡が量産化されるようになった。それらは、中国古代における宇宙観を表現したものであった。漢代になると、道教的な神仙思想の表現が取り込まれた図像が中心となった(漢鏡)。
◍ 三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)
『魏志倭人伝』に記されている、邪馬台国の卑弥呼の使者が魏の皇帝から下賜された「銅鏡百枚」にあたるものとされる(所謂、「卑弥呼の鏡」)。
◍ 神獣鏡(しんじゅうきょう)
画文帯神獣鏡
◍ 鼉龍鏡(だりゅうきょう)
◍ 人物画像鏡(じんぶつがぞうきょう)
漢鏡を母鏡として模倣した「倭鏡(わきょう)」と考えられている。
◍ 多鈕細文鏡(たちゅうさいもんきょう)
日本では計12枚の出土例がある。内8例が九州北部及び山口県である。
福岡県小郡若山遺跡
山口県梶栗浜遺跡
韓国 慶尚北道 月城郡 外東面 入室里遺跡
◍ 直弧文鏡(ちょっこもんきょう)
◍ 内行花文鏡(ないこうかもんきょう)
中国の後漢代で流行した銅鏡。
◍ 方格規矩鏡(ほうかくきくきょう)
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◍ 位至三公鏡(いしさんこうきょう)
半導体ウエハ❓
《巴形銅器(ともえがたどうき)》
《銅鐸(どうたく)》
銅鐸は近畿を中心に東は東海地方から西は中国地方にまで分布していることが知られていた(近畿式銅鐸と三遠式銅鐸)。のちに、吉野ヶ里遺跡からは九州で初出土となった。