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Alone again

孤高のメス、と言うタイトルが好きだった。とある、小説のタイトルだ。映画になったらドラマ化したり、世の中に深く浸透した作品だった。その作中、孤高である事を讃える描写があった。技術職として外科医の在り方を研ぎ澄ますなら、孤高でなければならないと若くて未熟な僕は思い込んだ。

あれから10年が流れた。総合診療的な立ち位置でも、技術屋さん的な立ち位置でも、僕はそれなりの人材になった。救急と言う文脈では心技体で困ることはなく専門研修と言う意味での危うさは未だに強く残るが、それなりには役に立っていると思う。そんな中で僕が足りないと思うことは、孤高であると言うことだ。

僕は幸いにして孤独ではない。全く良いとは思っていないが家庭がある。師匠がいて、かつての同僚は他科となった僕を支えてくれる。幸いにしてコメディカルからの風当たりも暖かい。でも、だからこそ、一人で戦う苦しさと、それを乗り越える強さは衰えた。

そして、何より理解者がいる。どうせ誰にも理解されないだろうからと今まで投げ出していた気持ちを口にしたいと思う人がいる。これはとても大切なことだと思う。こんな僕を理解してくれる人なんて今後二度と現れないかも知れない。だからこそ、悩む。

あの頃に抱いた幻想は、それでも一抹の真実を含んでいて、その真実にいつも迷う。孤高である事を逃げていないか?心地良さに甘えていないか?最後の一踏ん張りが、甘くなっていないか。

支えられるだけの関係になってしまったのだったら、いっそ忘れた方が良いのかも知れない。

Alone again, もう一度孤高の存在へ。

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