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私見・論理のスキルと論理学の間 (T3:Pt1:Ch03)

「論理的に考える」を身につけるなら、いきなり論理学に飛び込むのは止めた方がいいでしょう。というお話です


論理と言えば論理学……?

AGEST社のSqriptsというメディアで論理のスキルというテーマで記事を書かせていただいています。
テストエンジニアのための論理スキル[再]入門。現在はテストエンジニアのための論理スキル[実践編]を連載中)

毎回、文末に参考文献リストを載せています。論理のスキルに興味を持って、もうちょっと勉強したいと思った方の中には、この参考文献リストにある参考書を読んでみようと思う人もいるかも知れません。

が、お勧めはしません。少なくともいきなり手を出すのは。

※以下、本稿は筆者の私見であることをお断りします。

論理のスキルと論理学

対象領域というか関心領域というか、考えたい事柄が、「論理的に考えるスキル」と「論理学」とではぴったりと一致しているわけではありません。筆者はFig.01の右側のような関係なんじゃないかと思っています(円の大きさに意味はありません)。

Fig.01: 私見・「論理的に考える」と「論理学」との関係

重なり合う部分はあります(Fig.01右側の図の交わり)。
論理の言葉の働き、演繹的な推論の規則などはここに入ります。

が、重ならない部分もあります(Fig.02)。この重ならない部分が相当大きく、Fig.02の左側を求めて論理学の本を手に取っても、右側の話ばかりで途方に暮れる、ということになりかねません。

Fig.02: 私見・重ならない部分

私たちが「論理的に考える」ことでやりたいのは、

  • 込み入った文章や話から、前提や根拠を取り出し、結論に至る筋道を理解したい。その文章や話が主張したいことを読み取って、主張が正しいかどうか判断したい

  • 自分の考えを整理したい。怪しい根拠と怪しい筋道で無理な理屈を立てないようにしたい。筋道の通ったことを話す(書く)ようにしたい

といったことでしょう。こうしたことのためには、論理学の詳しい知識は(差し当たり)なくても問題ありません。

「論理学」に踏み込まなくても

人はもともと、「論理的に考える」力は或る程度持っています(まったく「非・論理的に考える」ことは人間にはできません)。

「または」や「かつ、および」、「ならば」といった「論理の言葉」は、論理学が創り出したものではなく、人間が自分の考えを筋道立てて組み立て、伝えるために使ってきた言葉を吟味し、曖昧なところがないようにしたものです。

筆者の論理スキルの記事で紹介していることも、「知ってた、知ってる」「意識したことなかったけど、言われてみればそんな風に考えてる」ということが多いと思います(どうですか?)。

ただ、「常に論理を意識して暮らしている」わけでもないために、論理の言葉の使い方を間違えたり、正しくない推論をしてしまったりするということが起こるわけです。

ということは、自分が日ごろ使っている言葉への意識を(ちょっと)高めれば、「論理的に考える」スキルを伸ばせると期待できます。

自習にお勧めの本

論理学に深入りすることなく、「論理的に考えるとはどういうことか」「論理的に考えるためにはどういうことに注意を払うのがよいか」ということを、簡潔に判りやすく紹介している書籍もあります。

「論理の言葉」の意味や注意点、演繹的な推論の概説などを見渡すなら:

  • NHK『ロンリのちから』制作班(著), 野矢茂樹(監修) 『ロンリのちから』 三笠書房 2015

  • 仲島ひとみ(著), 野矢茂樹(監修) 『大人のための学習マンガ それゆけ! 論理さん』 筑摩書房 2018

『ロンリのちから』はNHK Eテレ(教育テレビ)の同名番組の書籍化です。
『それゆけ!論理さん』は題名の通り、漫画仕立てになっています。
それぞれ楽しく、「論理的に考える」ための基礎知識を習得できます。

ちょっと長めの文と取っ組み合って、「文章の論理構造を読み解く」ということを学ぶなら:

  • 野矢茂樹 『新版 論理トレーニング』 産業図書 2006

文と文との様々なつながり方(接続関係)に着目して論理構造を把握する「文章の読み方」や、「推論の構造の捉え方」を、詳しい解説と豊富な例題、練習問題で学べます。

(三冊とも野矢茂樹先生が関わっていますが、それで選んでいるわけではありません)

こうした本で勉強して論理のスキルを磨いて、FIg.02の右側のようなことに興味が出てきたなら、いよいよ論理学の教科書に手を伸ばす時が来ていると考えてよいでしょう。

論理学でなくても(仮)

本稿の考えは筆者自身の経験と“反省”から来ています。

もともとプログラマー稼業を始める頃から数理論理学には興味があったのと、
ソフトウェア設計の仕事をしていて「考えたことを筋道立てて話せる(書ける)」「デザインの意図やプログラムの挙動(故障を含む!)などを、根拠から結論まで明快に説明できる」ということの重要性を痛感したのとで、

論理学を勉強しようと志してしまい、記号論理学の教科書を読み始めたところ、演繹図(推論図)や推論規則は知的な刺激に溢れて見えて、わくわくしながら読んだんですが、……

どうも、なんか、違うな……(´・ω・`)

という感想が湧いてきて、結局、何千円もしたその本は半ばでそっと閉じ……

ということがありました。

今思うと、論理学の門を敲くには早かったのでしょうし、かつ/または、求めているものが違っていたんでしょう。
(当時の筆者は、先に紹介したようないい手引書を見つけることができませんでした)

論理学は面白い学問なので皆さんにもぜひ覗いてみて欲しいと思いますが、ものごとにはチャレンジしてよい「時」があり、「段階」がある――そういうこともある、ということなのかなと思っています。n = 1(筆者)ではありますが。


(2024-09-30 R001)

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